ニューヨーク生活20年で経験してきた様々な実話集。 好きだから別れるしかなかった。そして別れてから始めて気づく事。新連載スタート。
それでもやっぱりニューヨークが好き
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「ニューヨークの母」マリッサとの再会
2008年 02月 10日 (日) 17:05 | 編集


世界中から多くの人たちが夢と富を求めてやってくる街、ニューヨーク。



でもその現実は貧富の差は日本とは比べ物にならないくらい大きく、
日本人である私からは考えられないような金持ちがマンハッタンにはごろごろいるかと思えば、その数以上の多くの人たちが貧困に苦しんでいる状況です。



昨日まで普通に生活していた人たちが、明日には職を失い、住む家を失い、
コンクリートジャングルの中をたださまようだけの生活になることも他人事ではない話です。



まだ私が10代だった頃、
世界の中心であるニューヨークに一度来て見たいと思い、
学校の休みを利用して親友のミキと一緒に初めてニューヨークにやって来ました。



旅程はNY一ヶ月、その後ロサンゼルス、サンフランシスコ、ハワイと回って帰国する予定。



当時のニューヨークはまだ治安が悪く、
インターネットもない為、情報が限られいて不安でいっぱいでした。



それなのにホテルの予約もなしの行きあがりばったりの貧乏旅行。



JFKの空港に着いた時は緊張と不安で足がすくむ思いでした。



とりあえずマンハッタンに向かうことにしましたが、
貧乏旅行なのでタクシーは使わず、
最寄の地下鉄までバスで行くことにしました。



バス乗り場と言っても当時の空港はごちゃごちゃしていてわかりにくく、
道行く人たちに下手な英語でバス乗り場を尋ねながらようやくたどり着き、バスに乗り込みました。


すると、バスの運転手のおじさんに「運賃はコインのみ」と言われ、
コインを持っていなかった私たちが途方にくれていると、
同じバスに乗り合わせた他の乗客たちがお金を崩してくれました。



乗客たちのご好意でバスに乗れたのは良いけど、
今度は一体どこで降りたら良いのか見当がつきません…



わけのわからない所まで行ってしまったら大変なので、
バスの運転手のおじさんに思いっきり日本語英語で、



「地下鉄に行きたい。教えて。教えて」



と、ただひたすら必死に繰り返したらわかってもらえたようで、
運転席のすぐ近くの席に座っているようにと言われました。




他の乗客の人たちに大迷惑なスーツケースと共に乗り口付近の席に座っていましたが、
走り出してかなり時間が過ぎても運転手は何も言って来ないので、
もしかして忘れてるんじゃないかと不安になり、



「まだ?まだ?まだ?」



と、お仕事中の彼に何度も聞きまくり、



「大丈夫だからそこに座ってな」



と言われたので、不安でいっぱいになりながらも静かに座っていると、
しばらくしてようやく地下鉄の駅に近いらしいバスストップに着きました。



運転手のおじさんが私たちに早口で地下鉄の場所を説明してくれているようでしたが、
何を言ってるのかまったくわからなくてミキと共に途方に暮れていると、
おじさんは突然バスのエンジンを止めて立ち上がり、
私たちのスーツケースを持って一緒にバスから降りてくれて、
地下鉄の入り口まで連れて行ってくれました。



まさかバスを停めて道案内してくれるとは思っていなかったので、
私達もびっくりで感謝感激でした。
(さすがにピヨピヨの私たちをそのまま路頭に放置できなかったんでしょうが…)



運転手さんや他の乗客の方達には迷惑をかけてしまいましたが、
不安と緊張でいっぱいだった私達に優しくしてもらえて、
単純な私達は怖いイメージだったニューヨークが好きになり始めていました。



爽やかに手を振って去って行く運転手さんと別れた後、
重いスーツケースを持って地下鉄の階段を下りようとすると、
アメリカ人の男性がさっとやってきて、



「持ってあげるよ」



と声をかけてくれましたが、
「犯罪大国NY24時間」というドキュメント番組をさんざん日本で観ていた私達は、



スーツケース持って逃げられるーっ!!!



と思い込み、せっかく声をかけてくれた人に



「NO, NO, NO」



と拒否してしまいました…



今思えばあんな重たいスーツケース持って誰も逃げたりしないのに、
悪い事しなぁって思います。



すったもんだしながらも、ようやく地下鉄に乗れ、タイムズスクウェア付近の駅で下車しました。



地下鉄の駅から外に出て、
初めてマンハッタンの地を踏んだ私たちは興奮して、



「うわーー、ここがかの有名なブロードウェイかーー!!」



とミキと感動を分かち合っていたんですが、
のちにそこはブロードウェイではなくて、
8th Ave だったということが判明しました…



その後スーツケースをゴロゴロ押して、
日本で出会ったバックパッカーの人に聞いていた安ホテルを見つけ、
無事チェックインできました。



そのホテルは厳密にいうとホテルではなくアパートメントホテルで、
一週間、又は一ヶ月単位で借りている人たちばかりでした。



料金は今では考えられない値段で、二人で一週間200ドルくらいだったと思います。



ただしシャワーは共同。



それにお世辞にも綺麗とは言えませんでした。



そこの住人達は路上で物を売ってる人たちや、
何やら怪しげな仕事をしている人たちがたくさん住んでました(何故か宿泊者は男ばかり)。



内線電話で他の住人たちからナンパ電話がかかってくるし、
気の抜けない、サバイバルなホテルでしたが、
そこで掃除婦として働いてたマリッサという黒人のおばさんに出会いました。



彼女は怪しい人間がたくさん住んでるホテルに、
私たちのような右も左もわかっていないティーンエージャーがいるのが心配になったのか、



「私はあなた達のニューヨークのママよ! 何か困ったことがあったら何でも言いなさいね!」



と言いながらハグされたり、
クッキーを持ってきてくれたりして、
いつもとても親切にしてくれていたので、
私達も彼女の事がとても好きになりました。



そしてニューヨーク最後の日、



「寂しくなっちゃうわね…」



と涙を浮かべながらマリッサは私たちをきつく抱きしめました。





それから一年たって、
留学生としてNYに戻ってきた私とミキは、
マリッサにひさしぶりに会いたくて二人であのホテルに行ってみました。



するとそのホテルは何故か人気が無く、看板も無くなっていて、
ただ閑散とした状態になっていました。



おそらく、この一年の間に倒産してしまったのでしょう…



マリッサの行方もわからないまま数ヶ月がたった頃、
ホテルがあった付近のファーストフードでミキと二人で食事をしていると、
店の外にマリッサらしき人物がいるのを発見しました。



びっくりした私達は嬉しさいっぱいですぐにマリッサに駆け寄りました。



マリッサも私たちの事を覚えてくれていたようで、
以前と変わらないハグをしてくれました。



ハグの後、彼女から身を離して改めて彼女を見つめてみると、
何か妙な違和感を感じました。



虚ろな目、あまり綺麗じゃない服装、それに彼女は大きな袋とカバンを抱えていました。



え? これって… え?



状態がいまいち把握できないまま、
動揺を悟られないように気をつけながらジェスチャー交じりで話をしていると(まだ英語が下手だったので)、
突然マリッサが、



「お腹がすいてるの。 すごくお腹がすいてるの。 
 しばらく何も食べてないの」




と言い出しました。



その瞬間、私には彼女が何を意味してるのわかりませんでした。



と言うかわかりたくなかったんだと思います。



すると彼女は英語が通じなかったと思ったのか、



「Please give me food」



と言いながらジェスチャーで何度も食べるまねを始めました。



金づちでガーンと頭を殴られたような衝撃と共に、
ニューヨークの母だと言って抱きしめてくれていたマリッサに物乞いをされた現実を受け入れられず、
思考回路が止まったまま、



「ちょっと待ってて」



と言ってお店に戻って食べ物を買い、彼女に手渡しました。



すると彼女は何度もありがとうと言いながら、
体の調子が良くないのか、
重い体を引きずるようにそのまま去って行きました。



その前かがみに歩く彼女の後姿を見ながら、
この1年の間に一体何が彼女に起き、
どう過ごしてきたのかと思い、
その日の帰りの足取りがとても重たかったことは今でもはっきりと覚えています。






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Tip に関するあれこれ
2008年 02月 15日 (金) 14:59 | 編集


日本にはない習慣なので、
アメリカに来てどうしても戸惑ってしまうのがTipの習慣です。


私自身、今思い出すと恥ずかしくて忘れてしまいたい出来事があります。



20年前、初めてニューヨークに観光として来た時、
資金ギリギリの旅行だったので、
食事はスーパーやデリで買ってくるか、
食べに行くとしてもいつもファーストフードばかりでした。



特に良く行ったのが当時流行っていたピザハット。
日本でピザを食べる機会があまりなかった私はこのピザハットのピザが大のお気に入りでした。



ニューヨークで一ヶ月間の滞在を終えた後、
西海岸に移動し、そこでもピザハットに行くことになりました。



でも中に入ると何故か席案内の係りの人がいます。



カリフォルニアってニューヨークと違うなと思いながら席につくと、
ウェイトレスらしき人が来て注文を聞かれました。



一緒に来ていた友人のミキと、



「カリフォルニアってサービス良いね」



と言いながらピザを食べていたけど、
何だか胸騒ぎがしてきて、



「もしかしてここってTip とか払わないといけないの?」



「でもピザハットってファーストフードだからいらないよね?」



とミキと二人で勝手な論理で不安を打ち消してしまって、
結局そのままTip を置かないで出て行ってしまいました。



店を出る瞬間、やはり気になったので振り返ってみたら、
サーブをしてくれたウェイトレスが不機嫌そうな顔で黙々と片付けている姿が見え、
やはりTipを置かなくてはいけなかったんだと思った私は、
罪悪感と恥ずかしさでいっぱいになりました。



今でもふとその風景を思い出すことがあって、
そのたびに穴があったら入りたい気分になってしまいます。



その後、住む為にニューヨークに戻ってきて、
自分自身がウェイトレスとして働くようになりなり、
Tipの大切さを身をもって知りました。



ウェイトレスというのは給料はほとんどなく(当時1時間約1ドル)、
そのわずかな給料もそこからTax を引かれて、
受けとるチェックの金額は毎回ほとんど0。



というのもTax はレストランの売り上げからTip として受け取るであろう金額を自動的に計算されて、
給料から引かれるシステムになっているからです。



という事は例のピザハットのウェイトレスは、
受け取ってもいないTip の分の税金も払わされたということになります。



本当に申し訳ないです、、、



自分もそうでしたが、
日本の人たちはTip の習慣に慣れていないので、
私がウェイトレスとして働いてる間にもいろいろ嫌な経験もしました。



当時はバブルだったということもあって、
大盤振る舞いで飲み食いしている日本人の駐在員たちが、
いざTipになると、
びっくりするくらいケチ臭いTip しか置いていかない事がよくありました。



それもそんな嘘みたいなTip しか置いてないのに、



「これ、あなたのTip だからね♪」



と恩着せがましく言う人たちもいました。



そういう人たちは影でウェイトレスの間で「ケチおやじ」と呼ばれていて、
再度来店しても気持ちが入らない分、
どうしてもサービスの質が落ちてしまいます。


Tipなんて高が知れいてるので、
追加オーダーしたビール一杯分をTip に回せば、
その後の対応も変わってくるのになぁっていつも思っていました。



それでもまだTip を置いてるだけましで、
日本人観光客となれば、昔の私同様、
まったくTip を置かずに帰ってしまうこともあり、
追いかけてTip を徴収することもありました。



そんなウェイトレスの裏事情を知ってしまうと、
自分がレストランで食事する時はどうしても通常以上のTip を置く癖がついてしまいました。



ちなみに今住んでるアパートでも、
クリスマスにはドアマンやハンディーマン、清掃者などなど、アパートに関係する人たち全員にTip をあげなくてはいけません。



これは毎年かなりの出費になるので結構きついです。



ニューヨークでは人の手がかかるとTip がかかります。
それでもまだはっきりとTip が必要だとわかる場合はいいんですが、
微妙な時は困ってしまいます。



どこまでが親切からの行為なのか、


どこからがTip 目的の行為なのか。



その昔、初めて42nd street のPort Authority から郊外に行こうとした時、
いろんな線があり迷っていると、



「May I help you ?」



と黒人男性に声をかけられました。



行き先を彼に伝えると、
彼はチケット売り場まで私を連れて行ってくれて、
チケットの買い方や、バスの乗り場まで教えてくれました。



何て親切な人なんだろうと嬉しく思いながら、
お礼の言葉を言って去ろうとしたら呼び止められ、



「Tip please」



と言われました。



その人はPort Authority の職員ではなかったので、
てっきり親切心で教えてくれているのだとばかり思っていた私は内心ショックでした。



そんな経験を何回かしていると、
まったくの赤の他人が普通以上の親切をしてくれる時は、
下心があるか、お金を払う必要があると思うようになりました。



そんなある日、
当時付き合っていた彼と車でマンハッタンに行こうとして、
ラッシュアワーで渋滞していたクイーンズボロブリッジのど真ん中で突然車がエンストしてしまい、
まったく動かなくなってしまいました。



携帯電話がない時代だったので、
公衆電話がない橋の真ん中で緊急の電話も入れられず、
かといって車を置いて行くわけにもいかなくて、
二進も三進もいかない状態で渋滞の中立ち往生してしまいました。



背後から複数の車にけたたましくクラクションを鳴らされましたが、
サイドに寄るスペースもなく、
どうしようかと思っていると、
突然後ろから来たイエローキャブのおっちゃんが、



「後ろから押して行ってあげるよ」



と言ってくれました。



私たちにとっては天使の声です。



彼の車で後ろからグイグイ押されながら、
ハンドルだけ切って何とか橋を降りることができました。



橋を降りた所で車から出ようとしたら、



「近くに修理屋があるからそこまで押して行ってあげるよ」



とにこやかな笑顔で言ってくれ、
その言葉に甘えて修理屋まで連れて行ってもらうことにしました。



車の中で彼と、



「一体いくらくらい渡したらいいかな? 
 相手はタクシーだからその料金分も上乗せしたほうがいいよね」



と言いながら財布からお金を出して渡す準備をしていました。



そしてようやく修理屋が見えてきて、
おっちゃんの最後のプッシュで無事中に入る事ができ、
お礼とお金を渡す為に車から降りようとすると、



プップー



とおっちゃんはクラクションを2回だけならして、
開けた窓から手を振って爽やかな笑顔でそのまま走り去ってしまいました。



そのおっちゃんの笑顔はまるでほんとの天使のようで、
名前も名乗らず去っていく彼の車を見送りながら、
気持ちがあったかくなってくるのを感じました。



人の手を借りるとお金がかかるのが当たり前のニューヨークで、
てっきりこのおっちゃんもTip目的で助けてくれているんだとばかり思っていましたが、
こういう事があるとニューヨークもまだ捨てたもんじゃないなぁと思いました。





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ニューヨークでサバイバルする為に必要な事
2008年 02月 23日 (土) 09:25 | 編集


ニューヨークで生活する為に必要なスキルのうちの一つに「自己主張」があります。



私はニューヨーク以外の州に住んだことがないので他の州の事はわかりませんが、
世界各国から多様な人種が集まって、
いろんな文化がごっちゃまぜになってるニューヨークでは、
特に自己主張をすることが必要になってきます。



例えば学校では常に自分の意見を言うことが必要とされていて、
授業中に発言をしなければ自分の意見がない(頭が悪い)、
又は真剣に授業に取り組んでないとみなされ、
直接成績に関わってきます。



その為、こちらの教育では幼稚園の頃から「Show & Tell 」と言って、
子供達が自宅から何かお気に入りの物を学校に持参して、
皆の前でその物について話すというスピーチの学習があります。



そうやって小さな頃からスピーチの練習をさせられてるので、
大概のアメリカ人は皆の前で発言することにあまり抵抗がありません。



私がアメリカの大学にいた頃、
最初のうちは何かにつけて発言しまくるアメリカ人をみて、
皆が皆、頭が良さそうに見えて劣等感に苛まれましたが、
英語がわかってくるにつれ、



「え?それってさっき先生が説明したでしょ?」


「え?それってさっき他の生徒が質問してたでしょ?」


「え?それって教科書にデカデカと書いてあるよ」



というふうに、彼らの発言していることの大半は意味の無いものが多いって気づきました。



とにかく発言してなんぼっていう感じです。



彼らの自己主張で面食らった習慣で、
成績に関しても不服がある場合は先生に直談判に行きます。



先生達も慣れたもんで、その生徒の主張が正しければ成績を変更します。



私が大学に入る時、ほんとはTOEFLで点数を取って入学しようと思っていたんですが、
点数が7点足りなかったので申請するのを諦め、
大学付属の語学学校を最終レベルまで終えて入ったんですが、
後から他の生徒から聞いた所によると、
7点くらいだったらアピール(直談判)すれば入れたらしいです。



実際2,30点足りなかった人たちもアピールして入っていました。



こっちの小学校では担任の先生が嫌とか、
○○ちゃんと同じクラスになりたいって理由だけでも、
校長先生に頼めばクラスも変えてもらえます。



小学校や中学校の受験で落ちたとしても、
アピールすれば入れる事が多いです。



アメリカに住んでいると理不尽だと思われることに多々遭遇しますが、
とりあえず何でも自己主張してみたら、
案外自分の主張が通る事が多いです。



日本ではルールはルールで守るべきものとして例外はなかなか認めませんが、
アメリカではルールは一応の判断基準でしかないので、
押せば物事は変わることが多いです。



黙ってルールを守ってる人間からしてみれば不公平だと感じますが、
何も主張しなければ現状に満足していると受け取られ、
結局損をすることが多いです。



でもまぁどっちが良い悪いは無しとして、
主張をすることによって物事が変わると、
困難な事に遭遇した時にすぐに諦めずに頑張ろうという気にはなります。



「ルールはルールです」ってことで例外が認められない習慣だと、
何もする前に諦めてしまいがちなので。



ニューヨーク生活の中で自己主張の大切さが最も身に沁みた経験は、
私が突然くも膜下出血になった時です。



ホームドクターからまわされた脳の専門医で診察後、
すぐに手術ができるEmergencyに行く必要があると言われ、
そこのスタッフと一緒にEmergencyに行きました。



スタッフが病院の受付で私の病状は説明してくれていたので、
ちゃんと話は伝わっていると思い、
私は支払い方法などの手続きなど済ませて、
スタッフが去った後もそのEmergencyの待合室でその他の患者達と待っていました。



他の患者達はその当時インフルエンザが流行っていたせいか、
あっちこっちで吐いてるわ、皆今にも死にそうなくらいのリアクションでした。



こういう時、変に日本人な私は自分の弱味をそう簡単には見せられないので、
自分の順番が回ってくるのをずっと大人しく待っていました。



でも2時間経っても3時間経っても一向に呼ばれる気配がありませんでした。



さすがにこれはおかしいと思い始めた頃、
私よりずっと後に来て吐きまくっていた患者が呼ばれ、
(それまでは病気のせいで目が見にくいというのもって、あまり回りを見ていなかった)
それはないでしょ!とムカついた私は受付に行き、



「今呼ばれた人は明らかに私より後に来た人です!
 私はもう3時間も待ってるんですけど!!」



と怒ったら、
その受付の人は下を向いたまま、



「症状が悪い人を優先して診てるのよ」



と言って私の顔を見上げた瞬間、



「You are the next one」



と言いました。



取りあえずホッとしてトイレに行って(いつ呼ばれるかわからなかったのでトイレにも行けなかった)、
手を洗った時にふと鏡を見たら、
なんと私の片方の目の黒目が上のほうに行っちゃってる事に気づきました。



その前からずっと視界がダブルビジョンではあったんですが、
Emergencyに来る前は両目ともちゃんと正面を向いてたので、
待合室で待ってる間に病状が悪化しちゃってたって訳です。



だからさっきの受付の人が私の顔を見た瞬間に次は私の番だと言ったんだと妙に納得しました。



その後、診てくれたドクターから、



「あなたはもう少しで2回目の破裂寸前でしたよ。
 2回目の破裂があると1回目よりさらに生存率低くなっちゃうのよ。 
 ほんと危なかったねー」



と言われ、
もしあの時自己主張せずにただずっと大人しく自分の順番が来るのを待っていたら、
あのまま待合室の片隅で冷たくなってたかもと思い、



アメリカという国はちゃんと自己主張しないと死んでしまうこともあるのかぁ…



と何とも言えない気分になりました。



ちなみに手術後無事に黒目も元に戻り、後遺症もなく退院できました。
病院でも良い事悪いこと、いろいろ貴重な体験をしたので次回書きたいと思います。




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トラブル発生!弁護士参上!
2008年 03月 17日 (月) 10:19 | 編集


お待たせしました!(って誰も待ってないって?)



ブログを始めたばかりだというのに、
前回の書き込みから随分時間がたってしまいました。



というのもプライベートでちょっとした問題が起きまして、
それが弁護士を通してまでの争いに発展してブログの更新どころじゃなくなっていました。



弁護士を通した以上、
私としては必要な書類を提出した時点でやることはなかったんですが、
なにせ気持ちが落ち着かなくて心労の多い日々でした。



まだはっきりと決着がついたわけではありませんが、
とりあえず良い方向に向かいそうでちょっと一安心です。



それにしてもアメリカという国は何かと弁護士が必要で大変です。



前回の書き込みでアメリカではいかに自己主張が大切かを書きましたが、
個人でできる自己主張には限界があるので、
揉め事になった場合は自己主張のプロフェッショナルである弁護士を使わないと勝てない事が多いんです。



つい4日前、マンハッタンの86st と3rd Ave のコーナーで人身事故に遭遇したんですが、
事故を起こした本人は車に轢かれて気を失って道路にうつぶせになって倒れてる人に近寄ることもなく、
ただ携帯でずっと電話していました。



アメリカではこういう場合は絶対被害者に対して謝らないと言われてますが、
本当にその通りです。



今回のような大きな事故ではなくて軽い接触事故でも謝りません。



決定的にどちらかが一方的に悪いという事故じゃない場合、
日本人特有の謙虚さから先に謝ってしまうと、
謝った事実が残り後々不利になってしまいます。



今回の事故の加害者のように被害者の体を心配する前に、
まずは自己保身の為に弁護士に連絡を取るのが普通になってしまっています。



アメリカに長く住んでいると少なくとも何度かは弁護士のお世話になります。



長く住んでいる日本人が必ずお世話になるのが移民弁護士です。



弁護士の手腕によってすんなりビザor グリーンカードが取れたり取れなかったりするので、
弁護士選びは重要です。



そんなこんなでやたらと弁護士が必要になることが多いんですが、
何せ費用が高いので(1時間300ドルっていうところが多いです)、
身内に弁護士がいれば…といつも思ってしまいます。



ただ夫が弁護士だった場合、
夫婦仲がうまくいってる時は良いんですが、
離婚となった場合、
これ以上ないという最強の敵となってしまうので要注意です…



ちなみにlandlorが一番貸したくない借主の職種は1位が弁護士、2位が建築士だそうです。



弁護士相手に何かトラぶっても一般の人間じゃ勝てないですからねぇ…



そういえば韓国人経営のドライクリーニング店が、
コロンビア特別区の裁判官であるお客から預かっていたズボンを紛失した件で、
5400万ドルの賠償請求された事件がありましたが、
ズボンが無くなったくらいで5400万ドルの請求をするなんてびっくりしました。



告訴された韓国人家族は裁判のストレスで病気になったらしいです。



法律家の方々は見方になってくれてる時は頼もしいけど、
敵に回したらほんと怖いです…


詳しくは↓

ズボン紛失で5400万ドル損害賠償事件に判決

Reutersのビデオクリップ




最後まで読んでいただいてありがとうございます。

前回の書き込みで入院生活の続きを書くと書いてたのに、
長くなってしまったので結局書けなくてすいませんでした。

また近いうちに書きたいと思います。




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ICU体験記 Part.2 「近所のスケベドクター」
2008年 03月 26日 (水) 23:50 | 編集


すっかりこれが二日酔いだと勘違いしてた私も、
翌日になってもいまいち体調が良くならず、
さすがに三日酔いなんて聞いたことがないし、
明日になっても治らなかったら病院に行こうと思いました。



そして翌朝、
目が覚めると、なんと周りの景色がダブルビジョンになっているじゃないですか!



右目はまっすぐ見たままの画像だけど、
左目の画像は斜め上に見えるという不思議な状態。



さすがの楽観的な私も、



これは普通じゃない!



と焦りました。



それでほんとは行きたくなかったけど、
ただ単に家から近いからという理由だけでホームドクターとして登録してあった、
近所の50代くらいの白人のスケベドクターにアポを取りました。



話がそれちゃいますが、
何故このドクターがスケベなのかというと、
以前一度自宅でこけて肋骨を折った時に初めてこのドクターオフィスに行ったんですが、肋骨を折ったかもしれないと説明してるのにも関わらず、
そのドクターはいきなり、



「服を全部脱いで、患者用の服に着替えて下さい」



と言いました。



何で骨折してるかどうかみるだけなのに服を全部脱がなきゃいけないのかなと思ったけど、
そのほうが診やすいんだろうと自分に言い聞かせて着替えることにしました。
(それでも肋骨を診るのに何故ジーンズまで脱がないといけないのか謎でしたが)



でもさすがにブラジャーはしたままでもいいだろうと思い、
一応念の為にドクターに、



「ブラジャーは着けたままで良いですよね?」



と聞いたら、 



「全部脱いで下さい」



とあっさり言われて、内心



「ええええーーー? 何故に?」



と思ったけど、
こんな場面でためらっているほうがかえって恥ずかしいような気がして渋々取りました。



でもさすがにすっぽんぽんにはなりたくなかったので、
パンツだけは絶対脱ぎませんでしたが。



そして患者用の服に着替えてドクターが戻ってくると、
前面開放状態(=ほんどパンツ一丁状態)にされて、
骨折をしてるのかどうか調べているんだろうけど、
何だかその手つきが微妙にいやらしい…



これってちゃんとした診療?

それとも診療にかこつけてお触りしてるの??




って感じの嫌な印象でした。



でも私は医学に関してはど素人なので、
考えすぎかもとも思っていたんですが、
今回行った時も自分のこれまでの症状を話したら、
また下着を取って患者服に着替えてと言われました。



頭の問題なのに何故下着を取る必要があるのか?



とまたまた不信感…



でもそんなこと言ってる場合じゃないと自分に言い聞かせて、
仕方なく患者服に着替えました。
(もちろん今回もパンツは脱がなかったけど)



そして今回も半裸状態で、
こうやってみて、あーやってみてって、いろんな事をやらされ、
それ自体は脳が正常に機能してるか診る方法なんだとはわかりますが、
何故に半裸状態でする必要があるの???って感じでした。



この辺は痛いか?とか、
この辺は感覚があるか?
って言いながらまたあちこち妙な手つきで触られちゃったし…
(うまく説明できませんが、事務的じゃない触り方に感じた)


ちなみにアメリカでは保険の関係でどこでも好きなドクターに行けるわけじゃなく、
まず最初に自分のホームドクターを決めて、
それを保険会社に登録しないと行けません。



病気になった時はまずそのホームドクターに診て貰って、
それからもしより専門的な治療が必要な場合、
そのドクターからレファランスを貰ってから専門医に行かないといけません。
(そうじゃない保険もあります。 それとEmergency はレファランスは不要)



このスケベドクターに関しては、
2回目の診療でかなりスケベ疑惑が濃くなりましたが、
結局のところ、ど素人の私ではこれが普通の事なのかそうじゃないのかはっきりとはわからなかったんですが、
その後知り合った友達のお医者さんにこの話をしたら、



「絶対にあやしいと思うからドクター代えたほうが良いよ」



と言われ、すぐにホームドクターを代えました。



でもまぁ、スケベはスケベだとしても、
診断はちゃんとできたようで、
いろいろチェックした後、



「あなたはとっても深刻な状態にある可能性が高いので、
 このまま家には帰らないでレファランス書くからそのまますぐに脳の専門医へ行きなさい」



と言われました。

(まぁ私が彼だったとしても脳の専門医に行きなさいって言うだろうごくごく当たり前の診断ですが)



その後、マンハッタンのアッパーイーストにある脳の専門医まで電車で行きました。



電車の中で知り合いに会い、能天気な私は、



「いやー、何だかとってもシリアスな状態にあるらしいから、
 これから専門医に行ってくるのー。

 嫌やわー。」




って、今思えば自分でもくも膜下出血真っ最中とは思えない私でした。





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ICU体験記 Part.3 「喉が乾いたー!」へ行く





ICU体験記 Part.3 「喉が乾いたー!」
2008年 03月 29日 (土) 21:46 | 編集


近所のスケベドクターからの紹介でやってきたアッパーイーストの脳外科は、
場所柄もあるのか落ち着いた良い感じのドクターオフィスでした。



スケベドクターから、



「シリアスな状態かもしれない」



とは言われていたけど、
まさか自分が生死に関わる病気だとは夢にも思っていなかった私は、
子供を近所のママ友達に預けたままだったので、



「今日の晩御飯は何にしようかなぁ。 帰り道に買い物して帰らなきゃ」



と、診察が終わった後の段取りばかり考えてました。



そして私の順番が回ってきて脳外科医のドクターに診察してもらうと、
だんだんと雲行きが怪しくなっていきました。



そのドクター曰く、



「今の段階ではまだはっきりわからりませんが、最悪手術になる可能性もあります。
 でも今の医学は発達していて、
 頭を開けなくてもカテーテルで治せる可能性が高いので、
 今らか心配する必要はないですからね」



と言われました。



手術なんてこれっぽっちも頭になかったのでびっくりしましたが、続けて先生が、



「とりあえず大きな病院できちんと調べてからじゃないと手術が必要か必要じゃないかわからないので」


と言ったので、
先生は念の為に最悪のケースを話してるだけだろうってまだ高を括ってました。





その後、そのドクターオフィスから歩いてすぐのLenox Hill Hospital にオフィスのスタッフと共に向かいました。



その時の話は私の過去の記事の終わりのほうに書いてありますので、
もし良かったら読んでみて下さい。



ニューヨークでサバイバルする為に必要な事



その記事の中にも書きましたが、
こっちのEmergencyというのは驚くほど待ち時間が長く、
朝からホームドクター、その後、脳外科、それからEmergencyと立て続けに病院めぐりをして、
ようやく診察の順番が回ってきた時には夜になっていました。



サバイバルなEmergencyの待合室から脱出できてホッとすると、
急にお腹がすいてきました。



そういえば朝から何も食べてないし、喉もすごく渇いていて苦しい…



待合室から脱出してもすぐに診察してもらえる訳ではなく、
通路にベッドが何台か置いてあって、
そこで寝ながらドクターの診察が回ってくるのを待っていると、
隣のベッドからぷ~んとハンバーガーとフレンチフライの香りがしてきました。
(こういう状態の時でもアメリカ人はハンバーガーを食べるのね)



ダブルビジョンがひどくなって、
見えにくい目で匂いがするほうを見てみると、
隣のベッドで寝ていた女性患者の付き添い人であろう彼氏が、
差し入れを買ってきたようで二人で食べていました。



ただでさえお腹がすいて喉が渇いて死にそうだったのに、
その横で仲良さそうにハンバーガー食べるなんて、あまりにも…





羨ましすぎる~~!!





特に冷たく冷えたコークを見ていると、奪ってでも一気に喉に流し込みたくなって、





私にも買ってきてくれー!! (お金はちゃんと払うからさー)





って叫びだしそうになるのを必死な思いで堪えていました…





その後しばらくしてようやく順番が回ってきたようで、
ベッドごと病室に移動されました。



ドクターに診て貰うとやはり私はかなりシリアスな状態らしく、
手術になる可能性が高いとのこと。



とりあえずCTスキャンとMRIで詳しく調べてからと言われ、
私だけその病室の一番奥にあるガラス張りになった部屋に移動されました。



その時点ですでにかなり遅い時間帯だったので、
子供を預けている友人に連絡を入れなくてはと思い、
病室を出て待合室のほうに向かおうとしました。
(この時点では病院内では携帯電話は使用禁止だと思っていた)



すると警備員が慌ててやって来て、



「どこに行くの?」



と聞かれたので、



「友達に電話をしに行く」



と言うと、その警備員はドクターに話をしに行き、許可が下りたようで、
一緒に待合室に行きました。



電話中もその警備員がずっと私の背後で監視しています。



居心地の悪さを感じながらも、
もしかしてこの厳重な警備って、





私が逃げ出すとでも思ってるの?


患者服で逃げるわけないよーーー。






と思ったけど、過去にそういう人たちがいたからこそ警備が厳しいんだと考えると、
いろんな事情があるんだなぁと感慨深い気持ちになりました。



でも背後に立たれてると落ち着かないので、
取りあえず友達には、



「このまま手術になる可能性があるんだけど、
 何せ病院だから携帯使えないから、連絡がないってことは手術してると思ってて。
 子供たちはすぐにEXが迎えに来るから」



とだけ伝えて切りました。



実はこんなに携帯電話に関しては気を使っていたのに、
アメリカの病院じゃICUの中でさえ、
皆、携帯電話 使いまくり っていう事実が後で判明しましたが…





その後、自分のベッドに戻り、
だんだんと空腹と喉の渇き以外の事は何も考えられない状態になってきた時、
遠くのほうからかすかな声で、



「chicken sandwich? or turkey sandwich?」



っていう 天使の声 が!!



その声はだんだん近づいてきます。




あー、ようやく食べ物と飲み物にありつけるだー♡




と嬉しくなって、



チキンとターキーどっちにしようかなぁ。



やっぱターキーはパサパサするし、チキンだよね。




うん、やっぱりチキンにしよう!




と心に決めて、
大人しく順番が回ってくるのを待っていると、
しばらくしてようやく隣のベッドまで順番が回ってきました。




次は私の番!




とワクワクしながら待っていると、
なんとその彼女は私の手前で突然踵を返し、
そのまま立ち去ろうとするではないですか!!



慌てて、でも内心焦ってるのを隠して優し~く、 




「Excuse me~。 
  May I have a chicken sandwich please ♪」
 



と、ニコ っと笑顔も忘れず伝えると、
その看護婦は一瞬困った顔をして、




「ちょっと待ってて。 あなたの場合、ドクターに聞いてこないと…」




と言って立ち去ってしまいました。




何でドクターに聞かないといけないのーー??




と思いながらも、
もしかして食べ物にありつけないのかもしれないと、
不安いっぱいでその看護婦が戻ってくるのを待っていました。



するとしばらくしてすまなそうな顔をした彼女が戻ってきて、




「ドクターに聞いてみたけど、
 あなたは手術することになるかもしれないからあげれないの…」




との事…




食べれないのはまだ我慢できたけど、
朝から何も飲み物を飲んでいなくて、
喉の渇きが我慢の限界を超えていたので、




「それじゃ、お水だけ貰えますか?」




と聞くと、




「水も手術が終わるまで飲んだら駄目なの」




と言われ、
この時ばかりは何故か手術するかもって言われた時よりもはるかにショックが大きくて、今まで張り詰めていた緊張の糸がぷちっと切れ、
涙がぽろりとこぼれてしまいました…




もうこれから当分水を飲めないんだと思ったら苦しくて、
我慢が出来なくなった私は咄嗟に看護婦を呼んで、




「I need to go to the bathroom」




と言ってトイレに行き、
トイレのタブウォーターを狂うように飲んでしました…




でもこれは入院生活で手術よりも何よりも、
一番苦しかった喉の渇きとの戦いの始まりでしかありませんでした、、、、





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ICU体験記 Part.4 「死にたくない!」へ行く



ICU体験記 Part.4 「死にたくない!」
2008年 04月 05日 (土) 15:51 | 編集


実はここまでの記憶はとてもクリアなんですが、
ここからの記憶が脳の手術をしたせいか、
目がさらに見えにくくなったせいか、
それとも窓のない病室にずっといたせいなのかわかりませんが、
時間の感覚が無くて記憶が前後しちゃってるところもあります。



検査はCTスキャンとMRIなどいろいろしましたが、
何せ説明が全部医学用語なので、
いくら日常生活に支障は無い英語レベルであったとしても、
医学用語は正直チンプンカンプンで困りました。



いろんな検査に関しても、丁寧に説明してくれてはいるんですが、
半分くらいしか理解していないけど、
頑張って理解しようという気力もなかったので、
実際やられてからやっと何を検査されたのかわかるという状態でした。



特に怖かったのはMRIでした。



私は閉所恐怖症ではないんですが、
あんなに狭い所に入れられるとは思ってなかったし、
一体中で何をされるのかもわかってなくて、
MRIの中に入れられた時は不安でいっぱいでした。



そしていきなり、




「ガン!ガン!ガン!」




と耳元ですごく大きな音がしてきて、
一体何が起こってるのか、
一体どれくらいこれが続くのかわからなくて、
泣きそうになってしまいました。



どれくらいの時間がたったのかわかりませんが、
ようやく出してもらった時は心労で倒れそうでした。




検査の結果、
私の脳の中にはすでに出血したはずの血液は無くなっていたので、
脊椎から髄液を取って調べることになりました。



この検査の際、看護婦から、



「この注射はすっごく痛いけど頑張ってね」



と何度も言われていたので、
一体どれだけ痛いんだろうと不安になったけど、
覚悟を決めてやってみたら、
子供を自然分娩で産んだ事がある身には拍子抜けする感じでした。



髄液検査の結果、
脳で破裂した時に出た血液が、
時間の経過とともに髄液のほうまで流れていたようです。



その後、カテーテルでの検査をしました。



カテーテル専用の部屋にはカテーテルの専門医がいるんですが、
その彼がとっても愉快なタイプだったのでリラックスできました。



カテーテルの検査用のベッドに移動する時、
ふと見ると看護婦が準備していた器具の中に カミソリ を発見しました。



まさか?とは思いましたが、
やはりジョリジョリジョリっと私のあそこの毛の右半分を剃られてしまいました。
 



その後カテーテルの専門医がノリノリでやってきて、



「このカテーテルをここから(さっき剃られた所)入れて、
 血管の中を通って脳の中の写真を撮るんだよ」



と言いました。



そんなことができるなんて知らなかったので、
最初の説明ではいまいちよく把握できていませんでしたが、
実際私の体の中を通っていく映像を見ながら説明してくれたのでよくわかりました。



カテーテル医師は鼻歌まじりにどんどんカテーテルを進めて行って、
とうとう脳の中に入りました。



そして血管が破裂しているであろうと思われる所までたどり着いて、



「さ、ここで写真撮るから動かないでねー。
 ちょっとピリってすると思うけど」



と言ってスイッチを押しました。



その瞬間、不思議な事に目の中が一瞬光りました。



それと同時に本当にピリッっと刺激が来たので、
思わず体が反応して動いてしまいました。



「あー、駄目だよー、動かないでね」



と言われて撮り直しましたが、
何せ脳の血管の写真なので、
動いたつもりはなくてもほんのちょっとの反応でも駄目らしく、
何度も何度も撮り直させられました。




撮影後、カテーテルを抜く映像もなかなか面白かったです。



あんなものが血管の中を通って行って、
写真が撮れるなんて今の医学はすごいなぁと感心させられました。





次の日(とは言ってもここまで何日たったのかわかっていない)、
ベッドで寝ていると突然起こされて目を開けると、
最初の日に行った脳の専門医のドクターと(このドクターは30代くらいで若い)、
50歳か60歳代くらいのドクター二人がいて三人で見下ろされていました。



そして彼らが言うには、
検査の結果、カテーテルによる手術ではなく、
頭蓋骨を開けて手術することになったとの事。



もうここまで来たら、
 



煮るなり焼くなりどうにでもしてくれ~




という心境だった私は迷う事なく了承しました。



ただ、



頭を開けるということは丸刈りにされるという事か?
もしそうだったら恥ずかしくて当分外に行けないなぁ…



と内心思っていたけど、
この状況でルックスに関してあれこれいうのも非常識だと思って、
その事に関してドクターには尋ねませんでした





その後しばらくたって別のドクターが手術の同意書を持ってやって来ました。



その時に彼が、



「ご家族の電話番号を教えて下さい」



と言ったので、



「子供はまだ小さいし、私の家族は日本にいるので友達でも良いですか?」



と聞くと、



「友達は駄目なんですよね。 親戚でも良いからいませんか?」



と言われ、



「親戚も誰もいないので、日本の家族の連絡先でも良いですか?」



と言うと、そのドクターは困った顔をして、




「うーん、日本の家族は駄目なんですよねぇ。 っていうのもですね。
 今のあなたの状態は手術をする際に そのまま亡くなる
 可能性もあるんですよ。
 だからそうなった場合の 引き取り先 として家族の連絡先がいるんです」




とはっきり言われて、
実はそれまで自分が死ぬかもなんてまーーったく考えていなかった私は、
この言葉がかなりショックで、



その瞬間、




「このまま死ねない!!」



「絶対死にたくない!!」






と心の中で叫びました。




実はこの病気になる前まで、離婚のストレスで、



いっそのこと死んじゃえたら楽になれるのに



と思っていたこともあった私は、
この内側から湧き出てくる生への渇望に我ながら驚き、
それと同時に涙が溢れてきました。





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ICU体験記 Part.5 「もし死んだら」へ行く






ICU体験記 Part.5 「もし死んだら」
2008年 04月 09日 (水) 09:13 | 編集


人前で泣く事なんて滅多にない私は、



「死ぬかもしれない」



と言われたドクターの前で泣いてからというもの、
一気に涙腺が緩んでしまって、
そのままメソメソモードに突入してしまいました。



もしこのまま死んでしまったらどうしよう。



まだ小さい子供たちはどうなるんだろう。



まだ何の親孝行もしていないのに、
親より先に死んでしまったらこれ以上にない最大の親不孝だなぁ。



アメリカ行きを大反対されて、
1年で戻るからって説得して結局戻らなかった私に、
ダンボールいっぱいの日本食材や、
絶対私が着そうにもない母親テイストの服をせっせと送ってくる両親の顔を思い出す。



もし今死んでしまったら、
一体自分の人生って何だったんだろう?



何もかもが中途半端。



離婚のストレスでいっぱいいっぱいだった時、
いっその事死んでしまえたら楽になれるのにと思ったけど、
子供の事や両親の事を考えると自殺はできないので、
病気か事故か何かで死ねたら楽なのになって思ってしまった事に対する罰なのか?



それにしても自分がこんなに生きたいと思ってるなんて知らなかった。



もう2度と死にたいなんて思わないので助けて下さい…





私の記憶はこの辺りからおかしくなっていて、
その後どういう展開があったのかよく覚えていませんが、
気がついたら寝ていたようで、



「Excuse me, Ms.」



という声で目が覚めました。



目を開けるとさっきまで居た所と場所が変わっていて、
まだほっぺたがピンク色の若い医学生達10人以上に囲まれていました。



呆然としていると引率をしている先生が、



「この子達は医学を勉強している生徒達なんですが、
 あなたの経験を彼らの将来の為にシェアしていただけませんか?」



と言われ、



ついさっき死ぬかもって言われたばかりの患者に、
こういう機会をもうけるなんてアメリカっぽいなぁ。



と思いながらも、
私でお役に立てればと快く承諾しました。



すると先生が簡単に私の病気の事を彼らに説明して、
質問があれば直接私に質問するように言うと、
一人の真面目そうな可愛らしい女の子がノートとペンをしっかり握りながら、




「一体いつ、どういう状況で、どういうふうにそうなったんですか?
 その時の状態を教えて貰えますか?」





と、いきなり痛いポイントを突かれ、




ええええー、 まさかエッチの最中だったなんて、

こんな可憐な感じの子に口が裂けてもほんとのこと、




絶対言えなーい。
 



と思い、その辺は適当に誤魔化して答えました。




その後、いろんな質問をされましたが、
彼らにとって一番インパクトが強かったのは、
私が現在の症状の一つとして見せてあげた黒目が上のほうにいっちゃってる左目でした。



両目を開けているとダブルビジョンでよく見えないので、
普段は左目は閉じたままで右目だけ開けて見ていたんですが、
破裂してからの症状で左目がこうなってるのよと、
左目を開けて見せてあげた時の彼らの表情が印象的でした。



インタビュー終了後、学生の子達が口々に、



「手術がうまくいくように祈っています」



と言って励ましてくれて、
さっきまでのどん底気分がちょっと楽になりました。






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ICU体験記 Part.6 「とうとう手術!」へ行く





ICU体験記 Part.6 「とうとう手術!」
2008年 04月 13日 (日) 17:16 | 編集


医学生の生徒達が去った後、
手術前に友達たちに最後の電話をしておこうと思い、
ベッドの下の荷物置き場に置いていたカバンの中の携帯電話を出そうとしたら、




な、な、なんと! 


あるはずの携帯電話が無くなってるじゃないですか!!




最後に電話を使った後、
しっかりとカバンの中にしまったし、
ベッドから動けない状態の私がどこかで無くす事も有り得ないので、
寝ている間に誰かに盗まれたってことです…



財布は入院した時点で貴重品としてセキュリティーに預けてあったので大丈夫でしたが、携帯は必要だったし、
まさか自分のベッドの下の荷物置き場から盗まれるとはこれっぽっちも思ってなかったので預けていませんでした。



今までも何回か盗みにあったことはありますが、
いくらなんでも肉体的にも精神的にも極限に弱ってる状態の人間から、
外部との唯一の接触の手段である携帯電話を盗むなんて…




ニューヨークって…




やっぱ弱肉強食の世界やなぁ…




と、この時ばかりは嫌になってしまいました。




(ちなみに退院後、その月の携帯電話の支払いの請求書を見ると、
盗まれた日から何件か盗んだ犯人がかけたに違いない通話記録があったので、
駄目もとでその番号にかけてみました。
相手はすべてスペイン語を話す人たちで、
どうせ教えてくれないだろうと思いながらも、
事情を話してその日かけてきた人物を教えてくれって言いましたが、
やはり誰も教えてくれませんでした。)




最後に皆に電話したかったなぁ…




と思いながらも、
その後、急ピッチに手術の準備が整ったようで、
手術室にベッドごと移動されることになりました。



手術室に入るとそこはまるでテレビドラマのような世界でした。



だだっ広い手術室の中には、
マスクや手袋をつけた完全武装のドクター&看護婦達がたくさんいて(人数は定かではない)、
淡々と手術の準備をしていました。



手術室の右上のほうには鏡張りになってる所があって、



「あー、あそこがよくテレビで出てくるシーンで、
 お偉いさん達が外から手術をしてるのを見る所かぁ」



と思いながら、
好奇心と恐怖心の入り混じった感情で皆が作業をしてるのを眺めていました。



すると看護婦がやってきて、
手術用のベッドに移動するように言われたので、
起き上がって移動しようとした瞬間に、
手術に使う器具が目に留まりました。



一瞬、見てはいけないって思って目を逸らしましたが、
やっぱり気になってもう一度おそるおそる見てみたら、
たくさん並んでる器具の中に、
一段と私の恐怖を引き出すものが…




それは…




電動ノコギリ (みたいなやつ)




でした。




「あの電動ノコギリで私の頭を切るわけーーー???」




自分の頭をそれで切られてるところをまざまざと想像して、
恐怖で体が震えてきました。



そんな最中、ドクターがやってきて、



「これから麻酔をするから」



と言われました。



麻酔をされて眠ったらもう二度と起きれないかもと思うと、
麻酔で眠らされるのが怖い気もするし、
かと言って麻酔が中途半端になってしまって、
体は動かないのに意識がある状態で頭を切られたらと思うと怖いしで、
(実は別の手術でそれに近い経験があるんです。もちろん頭じゃなかったけど)




どっちにしても怖い~~~(涙)




と思いながら麻酔を受けました。



麻酔終了後、少しずつ眠くなってきて、
体が動かなくなりつつあったけど、
まだ意識はあったので、



もしかして麻酔失敗?

まさかこのまま手術始まっちゃわないよね?



と不安になりながらも、




「私の人生の意味って何だったのかなぁ…」




と考えながら、
だんだんぼやけていく手術台のライトを眺めていました。





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ICU体験記 Part.7 「手術終了そして喉の渇きとの闘い」へ行く






ICU体験記 Part.7 「手術終了そして喉の渇きとの闘い」
2008年 04月 15日 (火) 08:58 | 編集


ふと我に返ると、
さっきまでいた手術室とは違う、別の病室にいました。
(後でリカバリールームと判明)



全身麻酔というのは睡眠と違って、まったく時間の経緯が感じられないので、
さっきまで手術台にいたはずなのに、



「あれ?あれ?あれ?」



と、一瞬自分に何が起きたのかわかりませんでした。



ただまだ視界がダブルビジョンのままだったので、



「手術はどうなったの? まだやってないの?」



と思いましたが、
頭を触ってみると包帯がグルグル巻かれていて、
髪の毛はおそらく自分の血が付いて乾いたのか固まっていました。



それを確認して、  




「手術終わったんだー」



「私生きてるんだー」



「頭切ったはずなのに髪の毛あるやーん」 

 (実は丸坊主にされるとばかり思っていた)




と、自分の状況を把握しました。



周りを見渡してみると、
EXと彼の弟が来ていて、ドクターと話しているのが見えました。



EXによると、私が入院してから周りでは大騒ぎだったようでした。



病院に行く前に子供を預けて行った近所のママ友達は、
最後に私と電話で話して以来、病院の場所や病状など、
詳しい事が何もわからないまま突然連絡がつかなくなってしまって、
(携帯を盗まれてしまったので連絡が取れなかった)
心配になった彼女はNY日本総領事館に電話をしたそうです。



そこで私の日本の実家の電話番号を聞こうとしたらしいですが、
個人情報は教える事ができないと言われ、
領事館の方が直接日本の実家に電話をいれて下さったらしいです。



真夜中にニューヨークの日本総領事館から連絡を受け取った母は、
それはもうびっくりしたらしく、
慌ててすぐにこっちに向かってるとの事でした。



子供たちは今はEXの所(ニュージャージー州)にいるけど、
母が来た時点で私のアパートに戻り、
通常通り学校に通えると聞いて安心しました。



EX達が帰った後、
手術前からずっと喉が異常なほど渇いていて、看護婦に、



「手術が終わったら飲めるから我慢してね」



と言われていたので、
さっそくお水を貰おうと思い、その辺にいる看護婦を呼んで頼もうとしても、
忙しいのか何故かはぐらかされてしまいます…



ようやく捕まった看護婦にお水を頼むと、困った顔をして、



「うーん、今はまだお水を飲んだら駄目なの」



と、あっけなく却下されてしまいました。



「それじゃ、一体いつになったら飲めるんですか???」



と切羽詰って聞くと、



「そうねぇ… 明日の朝の6時ね」



と、耳を疑うような言葉を聞き、
ショックで一瞬思考回路が止まってしまいました。



我に返って時計を見ると、まだ夜の11時頃だったので、




あと7時間も絶対我慢できないっ!!




と思った私は、こうなったら前回と同じ手を使ってやれって思い、
体中あちこちについてる装置をはずして貰わないと起き上がれないので、
再度、看護婦を呼びつけました。



やって来たさっきと同じ看護婦に、




「I need to go to the restroom」




と言うと、すべてを悟ったような顔をした彼女はゆっくりと、




「あなたはトイレに行く必要ないわ」 (何故に??)





「だって…」






「導尿してるんだもん」






「えええ!!??」





びっくりした私は恐る恐るあそこのほうに手をやると、
ほんとにあそこから管が出てるじゃないですか!




い、い、いつの間に?? 
それもよりよってこんな場所に管突っ込んだの???




と驚きながらも、




あー、もうこれで絶対、絶対、
もうどうやっても水を飲むことはできないんだぁ…





と思ったら、さらに喉の渇きが苦しくなってきて、
水以外の事は何も考えられなくなりました。
(おかげでいらない事考えすぎることもなくて良かったのかも?)



その後、喉が渇きすぎて寝ることもできず、
ただただ時計の針だけを見つめ続け、
6時になるのをひたすら待っていました。



そして6時になった瞬間に看護婦を呼ぶと、
勤務時間が変わったようで、前回とは別の看護婦が来ました。



その看護婦に水を持ってきてくれるように頼むと、
こんなに待ち焦がれていた私に向かって、




「あなたは当分水を飲めないの」




と、いとも簡単にあっさりと言いのけました。



慌てた私は彼女に、



「でも今日の6時になったら水を飲んでも良いっていう許可を貰ってるんですが…」



と言うと、





「Who said that!!??」 
 (そんな事一体誰が言ったの!!??)




って…




「だって、だって、昨日の看護婦がそう言ってたんだもん…」




と泣きそうになりながら言うと、



「ほら、これ見てごらんなさい」



と点滴を指差しながら、





「あなたは点滴から水分取ってるから、
 水を飲む必要がないの!!!」






と冷たく言い放されました…



そうなんだぁ、、、と打ちひしがれながらも、




だからと言って
喉が渇いてるのは渇いてるんだもーーーん!!!




と叫びそうになるのを必死に堪えていました…



さっきまでは6時まで我慢すればいいと思っていたので、
何とか精神力が持っていましたが、
もう飲めないんだと思うと気力も無くなってしまって、
後はただただ朦朧としているだけでした。



だんだんだと唇だけじゃなく、
口の周りも乾燥してきてバリバリになっているのを看護婦が見て、
淡々と無言で顔の下半分全体にヌルヌルしたクリームをベタベタ塗られました。



頭の中では「戦場のメリークリスマス」のテーマソングが流れてきて、
頭から下を全部土に埋められて、
乾ききって死んでいったデイビットボーイと自分を重ね合わせていました。





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ICU体験記 Part.8 「お見舞い」へ行く






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まとめ
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