ニューヨーク生活20年で経験してきた様々な実話集。 好きだから別れるしかなかった。そして別れてから始めて気づく事。新連載スタート。
それでもやっぱりニューヨークが好き
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ICU体験記 Part.4 「死にたくない!」
2008年 04月 05日 (土) 15:51 | 編集


実はここまでの記憶はとてもクリアなんですが、
ここからの記憶が脳の手術をしたせいか、
目がさらに見えにくくなったせいか、
それとも窓のない病室にずっといたせいなのかわかりませんが、
時間の感覚が無くて記憶が前後しちゃってるところもあります。



検査はCTスキャンとMRIなどいろいろしましたが、
何せ説明が全部医学用語なので、
いくら日常生活に支障は無い英語レベルであったとしても、
医学用語は正直チンプンカンプンで困りました。



いろんな検査に関しても、丁寧に説明してくれてはいるんですが、
半分くらいしか理解していないけど、
頑張って理解しようという気力もなかったので、
実際やられてからやっと何を検査されたのかわかるという状態でした。



特に怖かったのはMRIでした。



私は閉所恐怖症ではないんですが、
あんなに狭い所に入れられるとは思ってなかったし、
一体中で何をされるのかもわかってなくて、
MRIの中に入れられた時は不安でいっぱいでした。



そしていきなり、




「ガン!ガン!ガン!」




と耳元ですごく大きな音がしてきて、
一体何が起こってるのか、
一体どれくらいこれが続くのかわからなくて、
泣きそうになってしまいました。



どれくらいの時間がたったのかわかりませんが、
ようやく出してもらった時は心労で倒れそうでした。




検査の結果、
私の脳の中にはすでに出血したはずの血液は無くなっていたので、
脊椎から髄液を取って調べることになりました。



この検査の際、看護婦から、



「この注射はすっごく痛いけど頑張ってね」



と何度も言われていたので、
一体どれだけ痛いんだろうと不安になったけど、
覚悟を決めてやってみたら、
子供を自然分娩で産んだ事がある身には拍子抜けする感じでした。



髄液検査の結果、
脳で破裂した時に出た血液が、
時間の経過とともに髄液のほうまで流れていたようです。



その後、カテーテルでの検査をしました。



カテーテル専用の部屋にはカテーテルの専門医がいるんですが、
その彼がとっても愉快なタイプだったのでリラックスできました。



カテーテルの検査用のベッドに移動する時、
ふと見ると看護婦が準備していた器具の中に カミソリ を発見しました。



まさか?とは思いましたが、
やはりジョリジョリジョリっと私のあそこの毛の右半分を剃られてしまいました。
 



その後カテーテルの専門医がノリノリでやってきて、



「このカテーテルをここから(さっき剃られた所)入れて、
 血管の中を通って脳の中の写真を撮るんだよ」



と言いました。



そんなことができるなんて知らなかったので、
最初の説明ではいまいちよく把握できていませんでしたが、
実際私の体の中を通っていく映像を見ながら説明してくれたのでよくわかりました。



カテーテル医師は鼻歌まじりにどんどんカテーテルを進めて行って、
とうとう脳の中に入りました。



そして血管が破裂しているであろうと思われる所までたどり着いて、



「さ、ここで写真撮るから動かないでねー。
 ちょっとピリってすると思うけど」



と言ってスイッチを押しました。



その瞬間、不思議な事に目の中が一瞬光りました。



それと同時に本当にピリッっと刺激が来たので、
思わず体が反応して動いてしまいました。



「あー、駄目だよー、動かないでね」



と言われて撮り直しましたが、
何せ脳の血管の写真なので、
動いたつもりはなくてもほんのちょっとの反応でも駄目らしく、
何度も何度も撮り直させられました。




撮影後、カテーテルを抜く映像もなかなか面白かったです。



あんなものが血管の中を通って行って、
写真が撮れるなんて今の医学はすごいなぁと感心させられました。





次の日(とは言ってもここまで何日たったのかわかっていない)、
ベッドで寝ていると突然起こされて目を開けると、
最初の日に行った脳の専門医のドクターと(このドクターは30代くらいで若い)、
50歳か60歳代くらいのドクター二人がいて三人で見下ろされていました。



そして彼らが言うには、
検査の結果、カテーテルによる手術ではなく、
頭蓋骨を開けて手術することになったとの事。



もうここまで来たら、
 



煮るなり焼くなりどうにでもしてくれ~




という心境だった私は迷う事なく了承しました。



ただ、



頭を開けるということは丸刈りにされるという事か?
もしそうだったら恥ずかしくて当分外に行けないなぁ…



と内心思っていたけど、
この状況でルックスに関してあれこれいうのも非常識だと思って、
その事に関してドクターには尋ねませんでした





その後しばらくたって別のドクターが手術の同意書を持ってやって来ました。



その時に彼が、



「ご家族の電話番号を教えて下さい」



と言ったので、



「子供はまだ小さいし、私の家族は日本にいるので友達でも良いですか?」



と聞くと、



「友達は駄目なんですよね。 親戚でも良いからいませんか?」



と言われ、



「親戚も誰もいないので、日本の家族の連絡先でも良いですか?」



と言うと、そのドクターは困った顔をして、




「うーん、日本の家族は駄目なんですよねぇ。 っていうのもですね。
 今のあなたの状態は手術をする際に そのまま亡くなる
 可能性もあるんですよ。
 だからそうなった場合の 引き取り先 として家族の連絡先がいるんです」




とはっきり言われて、
実はそれまで自分が死ぬかもなんてまーーったく考えていなかった私は、
この言葉がかなりショックで、



その瞬間、




「このまま死ねない!!」



「絶対死にたくない!!」






と心の中で叫びました。




実はこの病気になる前まで、離婚のストレスで、



いっそのこと死んじゃえたら楽になれるのに



と思っていたこともあった私は、
この内側から湧き出てくる生への渇望に我ながら驚き、
それと同時に涙が溢れてきました。





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ICU体験記 Part.5 「もし死んだら」へ行く






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ICU体験記 Part.5 「もし死んだら」
2008年 04月 09日 (水) 09:13 | 編集


人前で泣く事なんて滅多にない私は、



「死ぬかもしれない」



と言われたドクターの前で泣いてからというもの、
一気に涙腺が緩んでしまって、
そのままメソメソモードに突入してしまいました。



もしこのまま死んでしまったらどうしよう。



まだ小さい子供たちはどうなるんだろう。



まだ何の親孝行もしていないのに、
親より先に死んでしまったらこれ以上にない最大の親不孝だなぁ。



アメリカ行きを大反対されて、
1年で戻るからって説得して結局戻らなかった私に、
ダンボールいっぱいの日本食材や、
絶対私が着そうにもない母親テイストの服をせっせと送ってくる両親の顔を思い出す。



もし今死んでしまったら、
一体自分の人生って何だったんだろう?



何もかもが中途半端。



離婚のストレスでいっぱいいっぱいだった時、
いっその事死んでしまえたら楽になれるのにと思ったけど、
子供の事や両親の事を考えると自殺はできないので、
病気か事故か何かで死ねたら楽なのになって思ってしまった事に対する罰なのか?



それにしても自分がこんなに生きたいと思ってるなんて知らなかった。



もう2度と死にたいなんて思わないので助けて下さい…





私の記憶はこの辺りからおかしくなっていて、
その後どういう展開があったのかよく覚えていませんが、
気がついたら寝ていたようで、



「Excuse me, Ms.」



という声で目が覚めました。



目を開けるとさっきまで居た所と場所が変わっていて、
まだほっぺたがピンク色の若い医学生達10人以上に囲まれていました。



呆然としていると引率をしている先生が、



「この子達は医学を勉強している生徒達なんですが、
 あなたの経験を彼らの将来の為にシェアしていただけませんか?」



と言われ、



ついさっき死ぬかもって言われたばかりの患者に、
こういう機会をもうけるなんてアメリカっぽいなぁ。



と思いながらも、
私でお役に立てればと快く承諾しました。



すると先生が簡単に私の病気の事を彼らに説明して、
質問があれば直接私に質問するように言うと、
一人の真面目そうな可愛らしい女の子がノートとペンをしっかり握りながら、




「一体いつ、どういう状況で、どういうふうにそうなったんですか?
 その時の状態を教えて貰えますか?」





と、いきなり痛いポイントを突かれ、




ええええー、 まさかエッチの最中だったなんて、

こんな可憐な感じの子に口が裂けてもほんとのこと、




絶対言えなーい。
 



と思い、その辺は適当に誤魔化して答えました。




その後、いろんな質問をされましたが、
彼らにとって一番インパクトが強かったのは、
私が現在の症状の一つとして見せてあげた黒目が上のほうにいっちゃってる左目でした。



両目を開けているとダブルビジョンでよく見えないので、
普段は左目は閉じたままで右目だけ開けて見ていたんですが、
破裂してからの症状で左目がこうなってるのよと、
左目を開けて見せてあげた時の彼らの表情が印象的でした。



インタビュー終了後、学生の子達が口々に、



「手術がうまくいくように祈っています」



と言って励ましてくれて、
さっきまでのどん底気分がちょっと楽になりました。






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ICU体験記 Part.6 「とうとう手術!」へ行く





ICU体験記 Part.6 「とうとう手術!」
2008年 04月 13日 (日) 17:16 | 編集


医学生の生徒達が去った後、
手術前に友達たちに最後の電話をしておこうと思い、
ベッドの下の荷物置き場に置いていたカバンの中の携帯電話を出そうとしたら、




な、な、なんと! 


あるはずの携帯電話が無くなってるじゃないですか!!




最後に電話を使った後、
しっかりとカバンの中にしまったし、
ベッドから動けない状態の私がどこかで無くす事も有り得ないので、
寝ている間に誰かに盗まれたってことです…



財布は入院した時点で貴重品としてセキュリティーに預けてあったので大丈夫でしたが、携帯は必要だったし、
まさか自分のベッドの下の荷物置き場から盗まれるとはこれっぽっちも思ってなかったので預けていませんでした。



今までも何回か盗みにあったことはありますが、
いくらなんでも肉体的にも精神的にも極限に弱ってる状態の人間から、
外部との唯一の接触の手段である携帯電話を盗むなんて…




ニューヨークって…




やっぱ弱肉強食の世界やなぁ…




と、この時ばかりは嫌になってしまいました。




(ちなみに退院後、その月の携帯電話の支払いの請求書を見ると、
盗まれた日から何件か盗んだ犯人がかけたに違いない通話記録があったので、
駄目もとでその番号にかけてみました。
相手はすべてスペイン語を話す人たちで、
どうせ教えてくれないだろうと思いながらも、
事情を話してその日かけてきた人物を教えてくれって言いましたが、
やはり誰も教えてくれませんでした。)




最後に皆に電話したかったなぁ…




と思いながらも、
その後、急ピッチに手術の準備が整ったようで、
手術室にベッドごと移動されることになりました。



手術室に入るとそこはまるでテレビドラマのような世界でした。



だだっ広い手術室の中には、
マスクや手袋をつけた完全武装のドクター&看護婦達がたくさんいて(人数は定かではない)、
淡々と手術の準備をしていました。



手術室の右上のほうには鏡張りになってる所があって、



「あー、あそこがよくテレビで出てくるシーンで、
 お偉いさん達が外から手術をしてるのを見る所かぁ」



と思いながら、
好奇心と恐怖心の入り混じった感情で皆が作業をしてるのを眺めていました。



すると看護婦がやってきて、
手術用のベッドに移動するように言われたので、
起き上がって移動しようとした瞬間に、
手術に使う器具が目に留まりました。



一瞬、見てはいけないって思って目を逸らしましたが、
やっぱり気になってもう一度おそるおそる見てみたら、
たくさん並んでる器具の中に、
一段と私の恐怖を引き出すものが…




それは…




電動ノコギリ (みたいなやつ)




でした。




「あの電動ノコギリで私の頭を切るわけーーー???」




自分の頭をそれで切られてるところをまざまざと想像して、
恐怖で体が震えてきました。



そんな最中、ドクターがやってきて、



「これから麻酔をするから」



と言われました。



麻酔をされて眠ったらもう二度と起きれないかもと思うと、
麻酔で眠らされるのが怖い気もするし、
かと言って麻酔が中途半端になってしまって、
体は動かないのに意識がある状態で頭を切られたらと思うと怖いしで、
(実は別の手術でそれに近い経験があるんです。もちろん頭じゃなかったけど)




どっちにしても怖い~~~(涙)




と思いながら麻酔を受けました。



麻酔終了後、少しずつ眠くなってきて、
体が動かなくなりつつあったけど、
まだ意識はあったので、



もしかして麻酔失敗?

まさかこのまま手術始まっちゃわないよね?



と不安になりながらも、




「私の人生の意味って何だったのかなぁ…」




と考えながら、
だんだんぼやけていく手術台のライトを眺めていました。





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ICU体験記 Part.7 「手術終了そして喉の渇きとの闘い」へ行く






ICU体験記 Part.7 「手術終了そして喉の渇きとの闘い」
2008年 04月 15日 (火) 08:58 | 編集


ふと我に返ると、
さっきまでいた手術室とは違う、別の病室にいました。
(後でリカバリールームと判明)



全身麻酔というのは睡眠と違って、まったく時間の経緯が感じられないので、
さっきまで手術台にいたはずなのに、



「あれ?あれ?あれ?」



と、一瞬自分に何が起きたのかわかりませんでした。



ただまだ視界がダブルビジョンのままだったので、



「手術はどうなったの? まだやってないの?」



と思いましたが、
頭を触ってみると包帯がグルグル巻かれていて、
髪の毛はおそらく自分の血が付いて乾いたのか固まっていました。



それを確認して、  




「手術終わったんだー」



「私生きてるんだー」



「頭切ったはずなのに髪の毛あるやーん」 

 (実は丸坊主にされるとばかり思っていた)




と、自分の状況を把握しました。



周りを見渡してみると、
EXと彼の弟が来ていて、ドクターと話しているのが見えました。



EXによると、私が入院してから周りでは大騒ぎだったようでした。



病院に行く前に子供を預けて行った近所のママ友達は、
最後に私と電話で話して以来、病院の場所や病状など、
詳しい事が何もわからないまま突然連絡がつかなくなってしまって、
(携帯を盗まれてしまったので連絡が取れなかった)
心配になった彼女はNY日本総領事館に電話をしたそうです。



そこで私の日本の実家の電話番号を聞こうとしたらしいですが、
個人情報は教える事ができないと言われ、
領事館の方が直接日本の実家に電話をいれて下さったらしいです。



真夜中にニューヨークの日本総領事館から連絡を受け取った母は、
それはもうびっくりしたらしく、
慌ててすぐにこっちに向かってるとの事でした。



子供たちは今はEXの所(ニュージャージー州)にいるけど、
母が来た時点で私のアパートに戻り、
通常通り学校に通えると聞いて安心しました。



EX達が帰った後、
手術前からずっと喉が異常なほど渇いていて、看護婦に、



「手術が終わったら飲めるから我慢してね」



と言われていたので、
さっそくお水を貰おうと思い、その辺にいる看護婦を呼んで頼もうとしても、
忙しいのか何故かはぐらかされてしまいます…



ようやく捕まった看護婦にお水を頼むと、困った顔をして、



「うーん、今はまだお水を飲んだら駄目なの」



と、あっけなく却下されてしまいました。



「それじゃ、一体いつになったら飲めるんですか???」



と切羽詰って聞くと、



「そうねぇ… 明日の朝の6時ね」



と、耳を疑うような言葉を聞き、
ショックで一瞬思考回路が止まってしまいました。



我に返って時計を見ると、まだ夜の11時頃だったので、




あと7時間も絶対我慢できないっ!!




と思った私は、こうなったら前回と同じ手を使ってやれって思い、
体中あちこちについてる装置をはずして貰わないと起き上がれないので、
再度、看護婦を呼びつけました。



やって来たさっきと同じ看護婦に、




「I need to go to the restroom」




と言うと、すべてを悟ったような顔をした彼女はゆっくりと、




「あなたはトイレに行く必要ないわ」 (何故に??)





「だって…」






「導尿してるんだもん」






「えええ!!??」





びっくりした私は恐る恐るあそこのほうに手をやると、
ほんとにあそこから管が出てるじゃないですか!




い、い、いつの間に?? 
それもよりよってこんな場所に管突っ込んだの???




と驚きながらも、




あー、もうこれで絶対、絶対、
もうどうやっても水を飲むことはできないんだぁ…





と思ったら、さらに喉の渇きが苦しくなってきて、
水以外の事は何も考えられなくなりました。
(おかげでいらない事考えすぎることもなくて良かったのかも?)



その後、喉が渇きすぎて寝ることもできず、
ただただ時計の針だけを見つめ続け、
6時になるのをひたすら待っていました。



そして6時になった瞬間に看護婦を呼ぶと、
勤務時間が変わったようで、前回とは別の看護婦が来ました。



その看護婦に水を持ってきてくれるように頼むと、
こんなに待ち焦がれていた私に向かって、




「あなたは当分水を飲めないの」




と、いとも簡単にあっさりと言いのけました。



慌てた私は彼女に、



「でも今日の6時になったら水を飲んでも良いっていう許可を貰ってるんですが…」



と言うと、





「Who said that!!??」 
 (そんな事一体誰が言ったの!!??)




って…




「だって、だって、昨日の看護婦がそう言ってたんだもん…」




と泣きそうになりながら言うと、



「ほら、これ見てごらんなさい」



と点滴を指差しながら、





「あなたは点滴から水分取ってるから、
 水を飲む必要がないの!!!」






と冷たく言い放されました…



そうなんだぁ、、、と打ちひしがれながらも、




だからと言って
喉が渇いてるのは渇いてるんだもーーーん!!!




と叫びそうになるのを必死に堪えていました…



さっきまでは6時まで我慢すればいいと思っていたので、
何とか精神力が持っていましたが、
もう飲めないんだと思うと気力も無くなってしまって、
後はただただ朦朧としているだけでした。



だんだんだと唇だけじゃなく、
口の周りも乾燥してきてバリバリになっているのを看護婦が見て、
淡々と無言で顔の下半分全体にヌルヌルしたクリームをベタベタ塗られました。



頭の中では「戦場のメリークリスマス」のテーマソングが流れてきて、
頭から下を全部土に埋められて、
乾ききって死んでいったデイビットボーイと自分を重ね合わせていました。





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ICU体験記 Part.8 「お見舞い」へ行く






ICU体験記 Part.8 「お見舞い」
2008年 04月 16日 (水) 21:14 | 編集


水が飲めないことで気力も無くなり、
思考能力も無くなってただ朦朧としていると、
警備員のような格好をした男の人二人がやってきて、
私をベッドごと移動し始めました。



それまでいたリカバリールームからICUに移動されるようでしたが、
ICUまでは結構距離があり、
ベッドごとエレベーターに乗ったり、
一般の人達や子供たちがウロウロしている所を抜けていきました。



その時、他の人達から同情するような目で見られ、
何となく、
 



「悲劇の主人公?」




っぽくて、不謹慎ながら一瞬そんな自分に自己陶酔していました。



そしてようやくICUまでたどり着き、
自動ドアの中に入ると、
中はいろんな機械がごちゃごちゃあって、
たくさんの人達が働いていました。



その一角にベッドを設置され、
私の体にいろんな管&装置を体中に取り付けられ、
身動きできない状態になりました。



このICUに一週間滞在することになるんですが、
ICUの中では消灯時間というものがないので、
時間の感覚がまったくありませんでした。



ビジターも24時間OKなようで(多分)、
いろんな人達がひっきりなしにやってくるし、
ICUだけあって24時間治療していて寝ていても起こされるし、
あちこちで緊急のアラーム鳴りまくりで、
とにかく落ち着かないの一言です。



まぁ、もちろん誰もICUでくつろごうと思ってないのでOKですが。



ICUに移って以来、
いろんな人がお見舞いに来てくれて素直にすごく嬉しかったです。



今回入院するまでは、
入院して弱っている姿を人に見られるのなんて絶対嫌だと思っていたんですが(すっぴんだし…)、
人間弱ると恥も外聞も無くなって、
ただただ人恋しくなってしまうもんなんですね…



仕事があって忙しいはずのに、
毎日必ずお見舞いに来てくれたMさん。



彼女には面と向かっては照れくさくて言わなかったけど、
彼女が毎日来てくれたおかげでどれだけ心が救われたことか…



それにどこから聞きつけたのか、
久しぶりに会う知り合い。



こういうきっかけがなければ再会することもなかったかもしれないと思うと、
こうやって再会できたことに感謝。



それに皆の協力で、
私の最新情報がNYにいる知り合いから日本にいる知り合いにまで細かく伝わり、
いろんな意味で助けられました。



そう言えばお見舞いといえば、
私の元夫と当時付き合ってた彼と私の母親という微妙な面子が揃ってしまったこともあって、さすがにこの時は気まずかった…



ただ唯一会いたくても会えなかったのは子供たちでした。



ICUは子供のお見舞いは禁止されています。



理由は私が思うに、




「子供達にとって怖い場所」




だからでしょう。



もちろん子供がいると邪魔だという理由や、
二次感染を防ぐという理由もあるとは思いますが、
やはり子供達に現実の生と死の狭間を見せるのは酷だからじゃないかと思いました。



ICUに移ってからのある日、
ぼーっとしていると、
私の目の前を私のお見舞いに来てくれたのであろう友達がキョロキョロしながら通り過ぎようとしたので、



「○○さん、こっちやでー」



と言って手を振ると、
慌てて私のほうにやってきたんですが、
彼女の後日談で、



「今だから笑って話せるけど、あの時、正直言ってどこにあなたがいるのかわからなかったのよ…」



「それくらい他の重病患者の人達と一体化してたよ」



と言われました。



ICUの患者の中で私のように意識がある人間は珍しく、
ほとんどは意識のない人達ばかりで、
皆大変そうだなぁと自分は他の患者と違うと勝手に思いこんでいたんですが、
彼女からみたら私もまったく同じだったらしいです。



ICUでは生と死が常に隣り合わせで、
私がいた一週間の間にも何人もの方が亡くなりました。



ただでさえ精神的に弱ってた私には、
赤の他人とは言え、
目の前で人が亡くなっていくのを見るのは結構辛かったです。



パタパタっと一般の人達の出入りが多くなったと思ったら、
お祈りが始まり、
しばらくするとすべて綺麗に片付けられ、
その後また別の患者が入ってくる…



その繰り返しでした…





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ICU体験記 Part.9 「良い看護婦、悪い看護婦」へ行く






ICU体験記 Part.9 「良い看護婦、悪い看護婦」
2008年 04月 22日 (火) 08:58 | 編集


ICUに移ってしばらくすると、
ICU内で働いてる看護婦は2種類のグループで構成されている事に気がつきました。



詳しいシステムは知りませんが、
この二つのグループはユニフォームが少し違います。



でもユニフォームより何より一番の大きな違いは、



仕事に対する  熱意」  です。



話がややこしくなりそうなので、
やる気があるほうのグループをAランク、
やる気がないほうのグループをBランクとします。



私が見たところ、
Aランクの看護婦は医療の知識が高く、
ドクターの手助けなど、より専門的な仕事をしています。



Bランクの看護婦はドクターの手助けというより、
雑用係って感じです。(おそらくライセンスが必要じゃない仕事専門?)



Bランクの看護婦たちは呆れるほど仕事に対するやる気がなく、
しかも意地悪だったので、
彼女たちにはいろいろ泣かされました…



彼女たちにとって患者はただの



物体



でしかないようで、
何の感情も出さずに、ただ淡々と自分がやるべき仕事を必要最低限こなしてるだけでした。



確かにICUのほとんどの患者は意識がない状態なので、
毎日あそこで仕事をしている彼女たちには物体に見えてきてしまうのかもしれませんが、
それでもきちんと人間として扱ってほしかったです。



私はICUにいる間、
体中器具を付けられて身動きがとれなかったので、
導尿をはずしてからはベッドの上で用を足さないといけなくなったんですが、
彼女たちは特に下の世話が嫌なようで (まぁ、嫌な気持ちはわかるけど)、
呼んでも無視される事が多かったです。



その中でも一番辛かった出来事なんですが、
Bランクの看護婦を何度も呼んで、
ようやく簡易トイレを持ってきてもらったまでは良かったんですが、
用が済んだ後に回収してもらおうとまたそのBランク看護婦を呼んでも、
別のBランク看護婦とのおしゃべりに忙しいようで、
目線があってるにも拘らず無視され続けました。



かといってそのままの体勢だと辛かったので、
仕方なく、まだ思うように動かない体で必死で簡易トイレを腰から外して、
ベッドの端に移動させようとしました。



でも手がプルプル震えて力が入らなくて、
手から簡易トイレが滑り落ち、全部こぼしてしまいました。



ベッドのシーツと自分の患者服を汚物で汚してしまって、
何とも言えない情けない気持ちで打ちひしがれていると、
1時間近くたってからようやくやって来た看護婦がその現状を見て、、




ハァ~~~~ッ!!!!




と思いっきり嫌そうに大きくため息をつかれてしまいました…



惨めな気持ちでいっぱいでしが、



「何度も呼んだのに来てくれなかったから…」



と、一応小さな反逆を試みてみましたが、
彼女は私と会話をする事もなく、
ただ無言で片付けて行ってしまいました。



この時に初めてこの人達は私を「人間」とは思っていないんだと実感しました。



実はその前にもBランクの看護婦に、



「体のあちこちに貼ってあるシールみたいなやつが痒くてたまらない」



と訴えたことがあるんですが、
シールを捲ってちらっと見ただけで、
特に何も言わないままどこかに行ってしまったので、
痒いけど我慢しなきゃいけないのかと思い、
ずっとひたすら我慢していました。



そこに登場したのがAランク看護婦



彼女はにこやかにやって来て、
自分の自己紹介をした後、



「何か困ったこととかある? 何かあれば何でも言ってね」



と言ってくれたので、
痒いこと彼女に伝えると、シールを捲った瞬間に



「まぁ、こんなに赤く爛れちゃってるじゃないの。
 これは恐らくゴムアレルギーなのね。
 すっごく痒かったでしょ?可哀相にねぇ。
 こういうことがあったら我慢しなくていいんだからすぐに言ってね」



と言って、てきぱきとにゴムアレルギー用のシールに変えてくれました。

(ちなみに手術するまではそんなアレルギーはなかったんですが、
 手術をして以来、何故かゴムアレルギーになってしまったようです)



Aランクの看護婦の中には男性の看護士もいて、
彼は暗くなりがちなICUでいつも面白い話をしてくれたり、
暇があると声をかけてくれて、
明るい雰囲気づくりをいつも心かげてくれていました。



時々妙にメソメソモードに突入してしまうこともあった私は、
ある日の夜、ベッドの中で一人メソメソと泣いてると、
Aランクの看護婦が私のベッドの横に椅子を置いて、
暇を見つけては私の側に寄り添って、
一晩中いろんな話をして慰めてくれたこともありました。



Aランクの看護婦&看護士たちのおかげでBランクの看護婦たちからの仕打ちにも何とか耐えられたし、
本当に彼女たちにはどれだけ救われたことか…



喉の渇きとの戦いも、
Aランクの看護婦たちのおかげで随分気がまぎれました。



ある日、Aランクの例の陽気な看護士がやってきて、



「ハーイ! Ms. ukainou ! 今日は頑張ったご褒美に氷を一つあげるよ!!」



と嬉しそうに言いました。



待ちに待った水分補給の日です!!



大喜びでカップに入った氷を一ついただきました。



氷がこんなにおいしいとは!!



でも喜びも束の間、
氷はあっという間に無くなってしまったけど、
喉の渇きはまったく癒えてなかったので、
彼に駄目もとで、



「もう無くなっちゃったので、もう一つ貰えますか?」



と聞くと、



「ほんとはいっぱいあげたいんだけど、
 少しずつ様子をみながらじゃないと駄目なのでごめんねーーーー!!
 その代わり僕の面白話を聞かせてあげるよ!」



とおちゃらけながら言われたので、
それまでのような悲壮感を感じず、
もうちょっと頑張ろうという気になりました。



今思い出しても彼らは本当に優秀な看護婦&看護士だったと思います。



それにしてもAランクとBランクの差がありすぎ!!



何でもかんでも両極端なアメリカならではやなーっとつくづく思いました。





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ICU体験記 Part.10 「初めての食事!」へ行く






ICU体験記 Part.10 「初めての食事!」
2008年 04月 24日 (木) 09:06 | 編集


それから少しずつ体調も良くなり、
待ちに待った許可が下りて、
ようやく念願のお水が飲めました。



ただこれだけ長期にわたってお水が飲めなかったトラウマはすごくて、
飲んでも飲んでも喉の渇きが癒えず、
コップに入ったお水が空になると不安になるので、
お見舞いに来てくれた友人にペットボトルに入ったお水を買ってきてもらって、
常にベッドの傍らに置いていました。



そんなある日、
ICUではあまり見かけない、病院食のメニューを配る係の人がやってきました。



どうせ私には関係ないと思ってボーっとしていると、
そのメニュー係はストレートに私のほうに向かってやってきます。



そして私にニコッと微笑みながら、



「食べたいメニューにチェックしてね」



と言って、この病院に来て以来始めてのメニューを手渡されました。



「えええー! ご飯食べていいのー?」



驚きと嬉しさでワナワナしながらメニューを見てみると、
シーフードやステーキなど、
見てるだけでおいしそうなメニューがずらり!



それにチョイスも豊富!



つい数日前まで水も飲ませてもらえなかった私が、
大好物のステーキなんて食べて良いの???



信じられない思いを抱きながら、
喜びで緩みっぱなしの顔でメニューを吟味していました。



それにしても病院食だと言うのに、
パンの種類からジャム、スープ、シリアル、飲み物の種類、
付け合せのチョイス、メインの選択など、
細部にわたってチョイスができ、
好き嫌いが激しいアメリカ人でも満足のいく品揃えでした。



ボールペンを握り締めながら30分ほどじっくり考えて(他にすることないし)、



メインはやっぱりステーキにしよっ♪

付け合せはマッシュトポテト♪

それにあれもこれも付けれる物全部付けちゃえ~



てな感じで自分の好きなメニューに決めて、
メニュー係りの人に託しました。



それからわくわくしながら料理が運ばれて来るのを待ってると、
ついに私の食事が運ばれて来ました。



病院食とは思えないほどおいしそう !



思えばこの病院に入院して以来始めての食べ物。



入院した日、私だけチキンサンドイッチにありつけなかった恨みを晴らす時が来た!




まずはこのおいしそーなステーキから




好物のステーキにナイフを入れ、
一口サイズに切った肉を口に入れようとしたら、




な、





な、





なんと!!!







口が開かないじゃないですかーー!!!???






うそーーー!!??



な、な、なんで???




口が開かないとは思ってもみなかった私は慌てましたが、
まさか私が食べれない物を病院食として出すはずがないと思い、
さっきの肉片をもっと小さく切って、
口の中に無理やり押し込むようにして入れました。



そしてその肉を噛んでみたらまたまたびっくり!



肉を噛む度に両耳の奥の鼓膜辺りが




コリッカリッ




と音を立てて、
鼓膜がひっくり返ったようになってしまいます。



何度かトライしてみましたが、その度、




コリッカリッ コリッカリッ




「‥‥」




コリッカリッ コリッカリッ






「‥‥」









無理!!!








こんなんで食えるわけないやーーーん!!!





食べたくて食べたくて仕方なかったけど、
しょうがないので泣く泣く食べるのをあきらめました…




結局ステーキ以外も噛まなくちゃいけないものはすべて駄目で、
結局食べれたのはマッシュトポテトとヨーグルトのみ!



それも食べるというより舐めて飲むって感じです。



これにはガッカリを通りすごしてただただ笑うしかなく、




あ、そうか、アメリカって何でも自己責任って言うから、
さっきのメニューは自分の食べたい物を選ぶんじゃなくて、
自分の症状に合わせてそれぞれが食べれるものを選べって事だったのね。
ふむふむ。





‥‥ってそんなん無理無理!!





と、一人寂しくベッドの上でボケツッコミをやっていました。





結局アメリカの病院食って病状に合わせてるわけじゃなくて一律ってことですよねぇ。
体が弱るとほんと日本が恋しくなっちゃいます。
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ICU体験記 Part.11 「一般病棟と日本人ドクター」へ行く






ICU体験記 Part.11 「一般病棟と日本人ドクター」
2008年 04月 29日 (火) 23:33 | 編集


その後、順調に回復していき、
一週間以上いたICUを出て、一般病棟に移ることになりました。



一般病棟に移れた事は嬉しかったんですが、
ここで私を大きく落胆させたことが…



一般病棟って…




Bランク看護婦の巣窟だったんです!




詳しくは↓

ICU体験記 Part.9 「良い看護婦、悪い看護婦」




ブザーを押してもなかなか来てくれないし、
入院当初に盗まれた携帯電話の件で、
Lost and Found に届けがないか聞いてもぜんぜん調べてくれないし、
愛想はないわ、
冷たいわ、
ダラダラしてるわ、
ただでさえ弱ってる患者をさらに弱らせるような看護婦ばかり!



その上、ICUで救世主だったAランク看護婦が一般病棟では一人もいませんでした。
(たまたま私がいた時だけの事だったのかもしれないけど。 そう思いたい。)



体調が良くなってきたというのもあって、
ここにいるくらいなら一刻でも早くうちに帰りたいと思い、
検診にやって来たドクターに退院したい旨を伝えました。



ドクターによると、
翌日行う予定の抜糸後、特に問題がなければ退院しても良いとの事でした。



やっと退院できると聞いてホッとしていると、
アジア人のドクターが私の病室に入ってきて、



「お体の調子はどうですか?」



と想定外の日本語で声をかけられました。



突然の日本語でびっくりしましたが、
そのドクターは日本から2年の研修で来ている日本人ドクターでした。



彼の話によると、ニューヨークの病院では新しい患者が入院した際、
母国語が英語じゃない場合、
何科に関わらずその患者が話す言語が話せるドクターの所に通知が行くそうなんです。



そいう言えば入院時に記入するフォームに言語を書く欄があったなぁと思ってると、



「ukainouさんが入院された時すぐに連絡があったんですが、
 英語話せる人?って聞いたら話せるよって言われたので、
 じゃ、いいかって思って来なかったんですよー」



とにこやかに説明されて、



「英語話せるって言っても医療英語はちんぷんかんぷんでしたよー。
 ○○先生がいたんならすぐに来て欲しかったですよーーー」



と言いながら、
やっぱり日本語だとホッとするし、リラックスできていいなぁとしみじみ思いました。




するとそのドクターに、



「それにしてもまだお若いのにくも膜下出血だなんて大変でしたね」



と言われて、




「えええ??? くも膜下出血? 私が???」




と驚いて声を上げました。



というのも実はその日本人ドクターに会うまで、
脳内で出血したってことはわかっていましたが、
まさか「くも膜下出血」だとは思ってもいませんでした。
(当時はくも膜下出血って老人がなる病気だとばかり思ってたもんで)



担当のドクターから英語で「Aneurysm」だとは聞かされていましたが、
そんな英語は聞いたことがなかったので、
友達に辞書で調べてくれるように頼んだのですが、
辞書にもそんな単語は載っていなくて、
結局そこのところはうやむやになったままでした。
(ってそんな大事な事うやむやにすんなよって感じですよね)



「くも膜下出血だなんて、まじ、やばかったじゃないですか!?」



とドクターに言うと、



「そりゃそうですよ。 大変な病気ですよ。
 無事手術が成功して良かったですね」



と言われて、



改めて手術が成功し、今生きてる事に感謝しました。



ちなみにこの日本人ドクターも、



「日本の看護婦さん達が懐かしいなぁ。 こっちの看護婦って怖いです」



と言っていました。



その後、このドクターを通してあるご夫婦と出会うことになるんですが、
それはとりあえずこの長ーくなっちゃったICU体験記を終わってから書きたいと思います。



それにしてもICUネタで長くひっぱりすぎてますが、
もう少しで完結するのでそれまでお付き合い下さいませ~。





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ICU体験記 Part.12 「退院」へ行く





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まとめ
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