ニューヨーク生活20年で経験してきた様々な実話集。 好きだから別れるしかなかった。そして別れてから始めて気づく事。新連載スタート。
それでもやっぱりニューヨークが好き
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ボランティアとは?「追記」
2008年 06月 01日 (日) 17:19 | 編集


「ボランティアとは?」の中で書いた病院の治療に対しての疑惑に関してですが、

(参照→ボランティアとは?Part.3 「善意と疑惑」

結局のところ、おじいさんは保険が無かった事で、
治療に制限がかけられてしまったのかどうかは私にはわかりません。



ただその後、日本からニューヨークの病院に研修生としてやってきた知り合いが経験した話を聞いて、
もしかしたらその可能性もゼロじゃないなぁと思いました。




その知り合いの研修生が働いてた病院に、
ある日、足の病気で男の人が入院してきたそうです。



本来ならある治療方法を使えば足を切断しなくても直る病気だったらしいですが、
その治療方法は特殊な為、
彼が加入している保険ではカバーされなかったそうです。



するとドクターは何の躊躇もなく、足を切断することに決めて、
その男性は足を失ったそうです…



そういうアメリカの医療現場の実情を見た彼女はとてもショックを受け、
自分はアメリカの病院では働きたくないと言っていました。




アメリカではあきらかにお金がある人間とお金がない人間とでは寿命まで違います。



それは生活習慣からだけではなく、
医療にかけるお金の額の違いが大きいからだそうです。



日本の国民保険のような公的な医療保険制度がないアメリカでは、
会社又は個人で民間の保険会社と契約しないといけないんですが、
その医療保険プランも様々で、
保険の種類によってカバーできる治療が違います。



その為、保険にお金をかけるほどカバー率が良く、より良い治療が受けられ、
安い保険に加入していると自己負担率が高く、
それによって治療にも制限がかけられてしまいます。



そう考えると保険の無かったおじいさんの治療にも、
何らかの制限があったんじゃないか?と思ってしまいます。



だからと言って病院側が悪い訳じゃなく、
ましてや現場で働いてるドクターが悪い訳でもなく、
彼らは彼らでできる限りの事をおじいさんの為にやっていたと思います。



現在、4700万人のアメリカ人が無保険者だそうで、
保険問題はアメリカが抱える大きな社会問題です。



2005年の資料ですが、
一世帯の年間保険料は平均約120万円で、
このうち企業が74%を支払い、残りの26%が自己負担なんですが、
正社員じゃなかったり、勤めてる会社が保険完備じゃなかったり、
自営業だった場合、月10万円は保険料がかかるということです。



そんなわけで会社を辞めたくても個人で保険が払えないので辞められないとか、
急にリストラにあって、家族もろとも無保険になって病院に行けないとか、
入ってる保険じゃカバーしない病気になってしまって自己破産するとか、
頭が痛くなる問題が山積みです。



65歳以上を対象にしたメディケア(20%自己負担)や、
低所得者を対象としたメディケイドというシステムはありますが、
全米で最も制限がゆるいとされているニューヨーク州でも、
メディケイドの対象になるのは夫婦の世帯で保有資産が5150ドル以下、
月の収入が859ドル以下じゃないと支給されないそうです。



この家賃の高いニューヨークで、
夫婦合わせた収入が859ドル以下でどうやって生活するのよーー!!??
って思います。



その上、受診できる医療機関が限定されているし、
入院が1年に30日以内、救急外来受診が1年に6回、
外来処方薬が月7品目までとなっていて、
その枠を超えたら自己負担だそうです。



それでもまだメディケイドが支給されればいいですが、
収入はそれよりあるけど、
高い保険料を払う余裕がない無保険者たちは、
ただ病気にならない、
怪我をしないことを祈るしかない現状です…




最後に一つ、今回おじいさんの事を通じて疑問に思ったことがあるんですが、
おじいさんのようにまったく保険に加入していない人は緊急外来の場合のみ、
病院が加入している保険会社が代わりに治療費を払ってくれるとのことでしたが(病院によるらしい)、
その場合と、低額の保険しか加入していない人の緊急外来の場合とは、
どっちのほうがより治療に制限があるのでしょうか?



どなたかご存知ですか?





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人生のターニングポイント
2008年 06月 04日 (水) 12:21 | 編集


人にはそれぞれ人生の転換期というものがあると思いますが、
まさにあの頃の私はその真っ只中でした。




当時の私の状況は、




20歳の頃から一緒に住んでた元夫との結婚生活が破局。

→買ったばかりの新居をたった2時間の居住生活で飛び出し、
  マンハッタンのホテルに滞在しながらアパート探し&弁護士探し。

→9・11に遭遇。 家族の絆が叫ばれる中、帰る家も無くさらに凹む。

→借りることにしたアパートが9・11の影響でクレジットチェックができなくなり延期。

→ようやく引越しが完了し、親子3人での新生活がスタート。

→病気になって死にそうになる。




という人生において最も最悪な時で、
セルフエスティームも最も低い時でした。



ただ私はそういう自分の内側の暗い感情を他人には見せないので、
周りの人達からは能天気で悩み知らずの人間だと思われていましたが、
子供達がビジテーションで元夫の家に行って自分一人になると、
心の痛みに突き動かされるように自暴自棄な行動もしていました。



自分のセルフエスティームを上げる為にもと思って、
例のボランティアをやったんですが、
理想通りにはならず、
相変わらず自分に自信を持てないでいた頃、
近所の知り合いのB子さんから一本の電話がありました。




「ukainouさん、C子さんって知ってるよね?」

(C子さんとは近所に住んでる2歳の娘さんがいる30代前半の日本人女性です)



「あー、何回か会った事あるよ。
 とは言ってもそのうちの1回は会ったというより見ただけだけど」



 「実はさっきね、彼女のご主人(アメリカ人)から電話があって、  
 今、彼女ね、病院で危篤らしいの…」



「えええ!!?? な、何で?」



「私もさっき聞いたばかりで詳しい事はよくわからないの…
 ほら、私英語駄目だから…
 それでね、C子さんのご両親が今こっちに駆けつけて来てるらしいんだけど、
 C子さんのご主人は日本語話せないし、
 C子さんのご両親は英語話せないし、
 私と主人だけじゃ間に入って通訳するのは不安なので、
 ukainouさんも一緒に病院行ってくれない?」



「それはいいけど、B子さんのご主人も行くんだったら、
 私は必要ないんじゃないの?」

(彼女のご主人は研修医として3年の期限でこっちの病院で働いている)



「うちの主人は医療用語の説明ならできるんだけど、
 日常会話はまだぜんぜん駄目なのよー」



「そうなんだ。 私は日常会話は問題ないけど、
  医療英語がぜんぜん駄目だから、彼と二人で一人前やね」



「そうなのよ。

 
 だからお願い! 一緒に来て!




初めはC子さんの事をそんなに良く知らない私が、
こういう時に行ってもいいのかと考えましたが、
そういう事情ならということで、
私もすぐに病院に駆けつけることになりました。



この時はまだ、

この一本の電話が、

私の人生の転機になるとは思ってもいませんでした。





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「人生のターニングポイント 2」へ行く




人生のターニングポイント 2
2008年 06月 06日 (金) 20:10 | 編集


電話を切った後、大急ぎで準備をして、
B子さんとB子さんのご主人と私の3人で病院に向かいました。



C子さんのご主人であるアレックス(仮名)は、
空港にC子さんのご両親を迎えに行ってるらしく、
病院で落ち合うことになりました。



突然娘さんが大変な状態であることを知らされて、
詳しい事情もわからないまま、
こっちに向かっているC子さんのご両親の気持ちを考えるとたまりませんでした。



親にとって子供の不幸ほど辛いことはありません。



私の母も私がくも膜下出血になった時、
電話でその事を聞いてすぐに飛行機に飛び乗ってやってきたんですが、
飛行機の中では最悪のケースも頭に浮かんできて、
不安でいっぱいだったらしいです。



ただその時は自分がしっかりしなきゃという気力だけで精神を支えていたようです。



そんな事を思い出し、まだ会ってもいないうちから、
日本から駆けつけて来ているC子さんのご両親と私の両親の姿が私の中で重なっていきました。



病院に到着してC子さんがいるICUに向かうと、
彼女がいたのはICUの中でも仕切りのある個室でした。



私がICUに入院していた時、
ICUの個室に入っていた人達は他の患者よりも重症だったような気がするので、
C子さんの具合が心配でした。



個室の中には私たちよりも先に到着していたアレックスとC子さんのご両親の姿が見えました。



アレックスは私たちが来たのに気づいて部屋から出てくると、
真っ赤に泣きはらした目をしながら、




「今日は急だったのに来てくれて本当にありがとう。
 突然こんなことになって僕自身混乱しているけど、
 C子のご両親に話さなくちゃいけないことがたくさんあるのにできなくて…
 だから来てくれて本当に助かります」



と言い、これまでの経緯を私たちに話しだしました。



アレックスの話によると、

C子さんは3日前、熱を出して寝込んだらしいですが、
最初はただの風邪かと思っていたら、
症状がだんだんと重くなってきたので次の日に病院に行ったらしいです。



その病院でインフルエンザと診断されたので、
その日はそのまま家に帰ったらしいですが、
その日の夜に突然体中が痛いと訴え出したそうです。



その痛みは収まるどころか時間と共に増すばかりで、
あまりにも痛がるC子さんが心配になって救急車を呼んだらしい。



救急車の中でもその苦しみようはひどく、
一体何が起きてるのか、
この痛みは何なのか、
アレックスにもC子さん自身にもわからず、
ただ訳のわからない恐怖でいっぱいだったらしいです。



病院に到着してC子さんの様子を診たドクターが、
詳しい検査をする前にすでに危険な状態であると言われたので、
アレックスはC子さんのご両親に連絡を入れたそうです。



そして痛みに苦しんでいる彼女に、



「さっきお父さんとお母さんに連絡入れて、
 二人ともすぐにこっちに来てくれることになったからね」



と言うと、
それまでただもがき苦しんでいた彼女の表情が一転して、
驚きと不安の入り混じった顔で、





「親を呼ぶってことは…」






「もしかして…」







「私、死ぬの?」







と不安そうに聞いたそうです。



そしてその後すぐに気を失ってしまって、
それから今までずっと意識がないとのこと…



一気に私たちに今までの経緯を話していたアレックスは、
声を詰まらせて泣き崩れました。




「もしかして、私、死ぬの?」




この言葉は今でも私の中に深く残ってます。



人間誰しもいつ死ぬかなんてわかりません。



何十年後かもしれないし、



明日かもしれない、



もしかしたら今日かもしれない。



明日が必ずくるなんてことはありません。



だからこそ、今日一日を大切に生きていかなくてはいけないんだと思います。




4日前まで元気にヨガのクラスに参加していたC子さん。



何の前触れも無く、突然、「死」が彼女の目の前に迫った時、
C子さんは一体何を想い、
何を感じたのか…




「もしかして、私、死ぬの?」




この言葉が彼女の人生の最期の言葉になるとは、
アレックスだけではなく、
彼女自身も思っていなかったことでしょう…





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「人生のターニングポイント 3」へ行く




人生のターニングポイント 3
2008年 06月 08日 (日) 19:48 | 編集


はじめに。


今回の話を書くにあたって私なりに悩んだんですが、
C子さんが亡くなってから長い年月が経ち、
彼女の話題があがることも最早無くなり、
彼女がここに存在した事がどんどん風化されている今、
私の人生において多大な影響を与えた彼女の死について、
もう一度見つめ直したいという気持ちと、
彼女がここに存在したんだということを、
なるべくたくさんの人に知って欲しいという気持ちもあって書くことに決めました。



ただその話の中には、
亡くなったC子さんが悲しむかもしれないと思う事や、
真実を書くことによって、
傷つけてしまう人達がいるかもしれないという思いもあり、
果たして本当に書いていいのかと自分自身未だに葛藤してるのも確かです。



ただこれだけはご理解していただきたいのですが、
ブログネタとして彼女の死を利用してるのではありません。
(C子さんの親友と語る方からそういうコメントを何度か頂きましが、
 もし本当にその方が存在しているのなら、当時にお会いしたかったです)



私なりに真剣に考えて、
私が見てきた真実を書いていこうと思っています。



それでももちろん、不適切な表現や、
書くべきではない部分も出てくるかもしれません。



そういう時は遠慮なくメールでご指摘下さい。
(内容を確認したいので、返信可能なメールでお願いします)



検討の上、内容によっては削除、訂正させていただきます。



私自身、これは書くべきではないんじゃないか?
いや、真実を書くべきだ。
と判断できずにいるところもありますので、
皆さんのご意見は参考になります。



よろしくお願いいたします。



ukainou
ukainounyc@yahoo.co.jp





それでは前回からの続き↓





第3話



アレックスが落ち着くのを待って、4人でC子さんの病室に入りました。



そしてベッドに横たわるC子さんを見て我が目を疑いました。



彼女とは数回しか会っていませんが、
知性的で綺麗な女性だなという印象だった彼女と、
今、ここにいる女性とはまったく別人のようでした。



生気のない土色の顔、
黒ずんだ皮膚、
手や腕、鼻、耳など、体のあちこちが壊死していて、
彼女は両足を失っていました。



何の病気かも知らないまま来たので、
彼女のその姿を見た瞬間、あまりの衝撃で言葉が出ませんでした。



でもC子さんのご両親の手前、この動揺を悟られてはいけないと思い、
必死に冷静を装いながらも、
あまりのショックで何て挨拶をしたらいいのかわからず、
ただご両親に向かって会釈することしかできませんでした。



一緒に来たB子さんは、
C子さんの娘さんと同じ歳の娘さんがいて時々一緒に遊んでいたようで、
半年前ほど前にC子さんのお母さんがニューヨークに遊びに来た時に面識があるらしく、
二人で話してるのを横で上の空で聞きながら、
ただただ呆然とC子さんを見つめていました。



そして心の中で、





C子さん、苦しかったよね。

突然こんなふうになっちゃって辛いよね。

何でこんなことになっちゃったのか、訳がわからないよね。

訳がわからないうちにこんなことになっちゃって、
まだたった2歳の娘さんを置いて死ぬに死ねないよね。

私だって「死ぬかもしれない」って言われた時は絶対死にたくないって思ったから…

まだまだいっぱいやりたい事や、やり残したことがあるよね…



でも、



でも、



もし私があなただったら、このまま逝かせ欲しいって思ってしまう…



C子さんはどう思う? 


C子さんはどうしたい?


C子さん…





と、彼女に問いかけていました。





重苦しい空気の中、
C子さんのお母さんはC子さんの顔を見つめながら、
何度も何度もC子さんの壊死した腕をずっと擦っていました。



お父さんはその背後で必死で涙を堪えながら、
その様子をずっと無言で見つめていました。



そんなご両親の姿とC子さんを見ていると、
突然、私がICUのベッドにいて、
私の母が思いつめたような顔で側に寄り添っていた風景がフラッシュバックしました。







ここに横たわっているのは彼女ではなく私だったのかもしれない。

そしてこうやって悲しんでる両親は私の両親だったのかもしれない。



彼女は私だ。



何でこんな目に遭うの?

彼女が何かした?

助けて!

死にたくない。

生きていたい。

突然暗い闇の中に放り出されるのは怖い…

お父さん、お母さん、こんなに悲しませてごめんなさい…






まだ自分が病気になってから日の浅かった私は、
頭の中で自分のトラウマと彼女に起こっている事が混乱して、
訳のわからない、いろんな感情が一気に押し寄せてきて、
涙が溢れてきました。



どれくらい時間が経ったのかわかりません。
突然、その重苦しい沈黙を破ったのはお父さんでした。




「それでC子の病気の事について詳しく知りたいんですが…」




そして初めてアレックスからC子さんの病名を知らされました。



C子さんを突然襲ったこの病気は、
聞いただけでも震え上がるような恐ろしい名前の病気でした。





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「人生のターニングポイント 4」へ行く




人生のターニングポイント 4
2008年 06月 10日 (火) 22:01 | 編集


「それでC子の病気の事について詳しく知りたいんですが…」



と言うお父さんの問いかけに、
アレックスから聞いていた発病から入院までの経緯を話し、
その後、アレックスに病名について質問しました。



アレックスはお父さんとは目線を合わせないまま、
重い口を開くように、




「まだラボから詳しい検査結果は出ていなくて、
 最終的な診断はその結果が出てからじゃないと判断できないんですが、
 ドクターの話だと、恐らくC子の病気はhemolytic streptococcus のgroup A
 だと思われます」




と言いました。



医療用語になるとまったくわからない私はB子さんのご主人に、




「そういう病名は聞いた事がないので、どんな病気なのかわからないんですが…」




とバトンタッチを求めると、




「やっぱりそうですか…」




とB子さんのご主人はうな垂れるように呟き、




「C子さんの今の様子からみても、
 恐らく彼女の病気は劇症型のA群溶血性連鎖球菌でしょうね…」




「???」




「俗に言う人食いバクテリアという病気です」





「人食いバクテリア??!!」





「恐らくそうでしょうね…」





「人食いバクテリア」って一体何???

バクテリアが人を食べるの???

C子さんの体が壊死してるのはバクテリアに侵されているから?





いろんな疑問が頭の中に浮かびましたが、
ご両親の手前、今は私が質問しないほうが良いと思ったので、
B子さんのご主人がご両親に説明するのを黙って聞いていました。



ただB子さんのご主人も専門外の病気だとのことで、
アレックスがドクターから聞いた話と、
B子さんのご主人の医療の知識とを照合した結果、





「人食いバクテリア」というのは、「A群溶血製連鎖球菌」という子供の風邪の要因にもなる溶連菌によってかかる病気らしい。

その溶連菌自体はどこにでもいる菌で、
それにかかったとしても普通なら風邪程度の症状で収まるんですが、
稀に何千人か何万人かのうちの一人はそれに対する免疫システムの違いによって、
その溶連菌が体内で劇症型に変わることがあるらしい。

(まだ現在の医学でははっきりした理由はわかっていない)

劇症型に変わった場合、
脚などの筋肉が急に腫れ、数時間から数日のうちにどんどん腐っていく病気らしい。

死亡率が非常に高い病気で、その進行は凄まじい早さで進み、
発症してから数日以内に亡くなってしまうとの事…

ちなみに自分の免疫システムが劇症型に変わってしまうタイプなのか、
そうじゃないのかは、実際なってみない限りわからないらしいです。




アレックスの説明を聞きながら、




そんなに進行が早い病気なら、C子さんが最初に行った病院で適切な処置をしていたら助かっていたかもしれないってこと?

インフルエンザだと診断されて家に帰ったせいで手遅れになったんだとしたら、
病院の責任もあるんじゃないの?




と、心の中で思っていましたが、
どんなに発見が早くてもどっちにしろ治癒するのが難しい病気だったのかもしれないし、
それに第三者である私がそんな事を言いだすべきじゃないし、
あの時あーすればよかった、こうすればよかったなんて言ったって辛いだけだし、
第一、ただでさえ悲しみに暮れているご家族に、
怒りの感情まで引き出したら駄目だと思って黙っていました。





ただどうしても気になったので、その後、その件に関して調べてみたんですが、
この病気は死亡率が高く、進行も異常なほど早いですが、
喉の粘膜を調べる簡単な検査で溶連菌の有無はすぐにわかるので、
風邪に似た初期症状の時点で大量の抗生物質を投与すれば、
治る可能性は高かったようです。



ということはやはり最初にC子さんが行った病院がちゃんとした検査をせず、
問診のみでインフルエンザという診断を出したのは問題だったんじゃないかと思います。



ただ私がそう思っていても、アレックスが問題視していない以上、
その件に関しては触れないようにしました。



C子さんの病気についての説明が終わり、
また病室の中に静寂が訪れ、
なすすべも無くC子さんをただ見守っていると、
突然お父さんが、




「私は今まで一度もC子の事抱きしめたことがないんですよ。

 C子が生まれた時、あまりにも仕事が忙しすぎてろくに娘と接する時間も無くて、
 一緒に遊んだ記憶もほとんどありません。

 一人娘だっていうのにね。

 そして気がついたらいつの間にか大きくなってしまっていて、
 C子とゆっくり時間を過ごした事が一度も無かったんです。

 最近、仕事を引退することに決めて、すべての仕事を他の人達に任せたので、
 これからやっとC子と一緒に過ごせる時間ができたと思っていた矢先だったのに…

 皮肉なもんですね…」





と流れる涙を拭うこともせず話し出しました。




そしてしばらく沈黙があった後、再びお父さんが、




「ここが日本だったら、ありとあらゆる手段を使ってC子を必ず助けたのに。

 私だったらそれができたのに。

 こんな所でただ眺めることしかできない自分が無力で歯がゆい」





そして誰に聞かせるわけでもなく、

ポツリと、




「あんなやつと一緒になったからだ」





一瞬「え?」っと驚いてお父さんのほうを見ると、
さっきまでの哀しげな顔から憎しみの顔に変わっていて、
涙もすっかり乾いていました。



この時初めてお父さんとアレックスの間には、
何か深い溝がある事に気づきましたが、
まだこれはこれから始まる二人の長い戦いの幕開けでしかありませんでした。





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「人生のターニングポイント 5」へ行く




人生のターニングポイント 5
2008年 06月 14日 (土) 07:59 | 編集


「あんなやつと一緒になったからだ」



とお父さんが洩らした一言に、



「お父さん!」



とお母さんが窘めるようにお父さんの言葉を遮り、
その場にまた静寂が訪れました。



それからどのくらいの時間が経ったのかわかりません。



静まり返った病室の中で、
それまで一定のリズムで鳴っていた心電図モニターの音が,
突然、けたたましいアラーム音に変わり、
その場にいた全員に緊張が走りました。



その間ずっとC子さんの顔を見つめていましたが、
その表情に何の変化もありません。




そして看護婦とドクターが部屋の中に入ってきて、
心電図やその他の機械をチェックした後、
彼女がたった今亡くなったことを知らされました。



その一言で緊張の糸が切れたのか、
それまで堪えていた感情が一気に溢れ出てきたように、
皆声をあげて泣き出しました。



その間、看護婦は慣れた手つきでテキパキとC子さんに繋がっていた器具を外し、
いろんな装置を片付けた後、



「皆さんで最期のお別れをしてあげて下さい」



と言い、静かにドアを閉めて出て行きました。



その後すぐに神父さんがやって来て、
全員でC子さんの為に最期のお祈りをしました。




4日前には元気に出歩いていたというのに、
こんなに突然に、
こんなにあっけなく、
最期のお別れの言葉もなく亡くなってしまったC子さん。



何の心構えもしていなかった突然の死というのは、
残された家族にとって耐え難いほど辛いことで、
なかなか現実が受け止められず、
心残りや後悔ばかりが残ってしまいます。



その念が強すぎると、
その感情で自分自身を追い詰めたり、
怒りや憎しみの感情を増幅させてしまいます。



それがお父さんでした。





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「人生のターニングポイント 6」へ行く




人生のターニングポイント 6
2008年 06月 15日 (日) 17:32 | 編集


神父さんが去った後、
アレックスは悲しんでる暇もないほど、
病院でのいろいろな手続きで忙しくしていました。



しばらくして手続きが終了したようで、



「それではそろそろ帰りましょう」



と私たちに言ったので、その事をお父さんに伝えると、



「C子も一緒に連れて帰れるんですよね?」



と聞かれましたが、アメリカではこういう時どうするのかまったくわからなかった私はアレックスにその事を訊ねました。



するとアレックスはびっくりした顔をして、



「C子を家に連れて帰るって??
 そんなのあり得ないよ。
 アメリカではそんな風習はないよ」



と言ったので、そうなんだと思った私はその事をお父さんに伝えました。




するとお父さんは、



「それじゃ、お通夜とかどうするんですか?」



と再び聞かれたので、アレックスにその事を訊ねると、



「お葬式はちゃんと教会でします」



と言いながら病室から出て行ったので、
その事をお父さんに伝えて、
私たちもそのままアレックスについて慌しく病室を後にしました。





今となってはこの時、もう少しちゃんとアレックスと話せば良かったと後悔しています。





アメリカ映画のお葬式のシーンで、
亡くなった人が棺に入っていて、
皆でお別れをしている場面を何度も観たことがある私は、
お葬式でまたC子さんに会えると思いこんでいました。



お父さんもそう思っていたに違いありません。



でも実際はいつの間にかC子さんは灰にされていて、
私たちがC子さんの姿を見ることは二度とありませんでした。



病室ではお父さんもお母さんも戸惑いのほうが大きくて、
C子さんときちんとお別れする余裕が無かったと思うので、
落ち着いてからゆっくりとC子さんとお別れがしたかった筈だと思います。



もうすでに遺体はないと知った時のお父さんの悲しげな顔を思い出すと、
今でも心が締め付けられます。



アレックスはこの件に関して、ご両親の意見も聞くべきだったとは思いますが、
あの時のアレックスは傍から見てても憔悴しきっていて、
そういう配慮が無かったとしても、仕方がなかった状態だったとも思います。



それにアレックスの心情は聞いてないので本当の所はわかりませんが、
もし私がC子さんだったら、
病気のせいで変わり果てた姿を、葬式に来てくれた皆に私の最期の姿として記憶に残したくないと思うので、
そういうC子さんの女性としての気持ちを汲んでそうしたのかもしれません。



ただこういうお互いの気持ちのすれ違いから、
二人の間に元々あった溝が、

少しずつ、

そして大きく広がっていったのでした。





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「人生のターニングポイント 7」へ行く




人生のターニングポイント 7
2008年 06月 18日 (水) 21:30 | 編集


病院からの帰り道、アレックスが、



「お父さんとお母さんがアパートに入る前に、部屋の隅々まで消毒したいので、
 それが終わるまでの間、彼らをあなた方のアパートにステイさせて貰えませんか?」



と頼んできました。



するとB子さんが慌てて、



「うちは今部屋が散らかってるから… ちょっと無理…」



と言って困った顔をしたので、内心、



友達のご両親が困ってる時に、
部屋が散らかっていようが片付いていようがそんなことどうでもいいことやん。



と思いましたが、後でB子さんから聞いた話によると、
B子さんはC子さんと友達と呼べるほど深い付き合いをしていたわけではなく、
ただ娘さん同士が同じ年齢だったということで、
子供達を時々遊ばせていただけの単なるママ友だったので、
彼女もC子さんについてはよく知らないとの事でした。



その時はそういう事情を知らなかったので、
私はC子さんの友達であるB子さんのサポートをすればそれでいいと思っていたので、
行き成り逃げ腰の彼女に呆気に取られましたが、
疲れきった様子のお父さんとお母さんを放っておけないので、
うちに来て貰うことにしました。



実は私も身支度だけして慌てて家を出たので、
部屋中散らかしっぱなしだったんですが、
それらを大雑把に片付けた後、
二人とも何か食べないと体がもたないだろうと思い、
日本食を作って3人で食事をしながらいろんな話をしました。



ご両親はC子さんがニューヨークでどう暮らしていたのか知りたそうだったので、
私が知ってる数少ないC子さんの話をしました。



C子さんの夫であるアレックスには前の奥さんとの間に当時中学生の二人の子供がいて、彼らが毎週末と夏休み、冬休み、春休みなど、学校が休みの時は常にアレックスの所で過ごすことになっているとC子さんから聞いていました。



自分の家族だけで過ごせる休みの日が一日もないなんて大変だなーって思っていましたが、彼女から一度もそれに関する愚痴は聞いたことがなく、
それどころか、



「アンナ(C子さんの娘さん。仮名)もすごく懐いてるし、
 よく遊んでくれるので助かってます」



と言える彼女の事を秘かに尊敬していました。



彼女がそう言えるのはアレックスの頑張りがあったからのようで、
アレックスはC子さんと結婚するにあたって、



「C子は彼らの母親になる必要は無いからね。
 単に友達感覚で付き合ってくれたらいいから」



と言っていたらしく、
実際、ステップ達が来る時は食事の用意から片づけからすべてアレックスがしていたようです。



C子さんは、



「ステップ達がいる間は家事はアレックスが全部やってくれるし、
 アンナの面倒はステップ達がみてくれるし、返って楽チンかも?」



と、笑って言ってました。



それともう一つ印象に残っている出来事。



彼女が私達が住むエリアの日本人会に入ってまだ日が浅かった頃、
皆で近所の公園に集まってピクニックする事になり、
飲み物をたくさん冷やせる大きいクーラーボックスが必要だという話題になった時に、



「うちにあるから持って来ます!」



とC子さんが自ら率先して言ってくれました。



でもさすがにベビーカーを押しながら大きなクーラーボックスは持てないだろうから、
ご主人が持ってきてくれるんだろうと勝手に思っていたら、
当日、C子さんが一人で片手にベビーカー、
もう片手にクーラーボックスをくくり付けたカートを押して、
フラフラしながらやってきた彼女をみて驚きました。



ママ友の中でよくいるタイプで、



「何かあったらお手伝いしますから、いつでも言って下さいね~」



と言っておきながら、いざとなったら、



「主人が…」



「子供が…」



と、いろんなエクスキューズを持ち出して逃げる人が多い中、
氷がいっぱい詰まった重たいクーラーボックスを一人で持って来てくれた彼女に感動しました。




そんな彼女からある日、
ある健康に関する商品の紹介+おしゃべりも兼ねてうちに来ませんか?
と、日本人会のメンバーへの一斉メールが来たので、
初めて彼女の家に行ってみました。



その商品の話や彼女がしようとしていたことをお父さんに話すと、
投資家であるお父さんは、



「C子がそんなことやろうとしてたんですね。
 ぜんぜん知りませんでした。
 日本にいた頃はビジネスにはまったく興味がなさそうだったのに、
 そんなことしようとしていたんですね…」



と、とても感慨深そうでした。




私が話すC子さんの話を、
自分たちの知らなかったC子さんを知る為か、
C子さんと会っていなかった空白の時間を埋める為か、
どの話も熱心に聞いてくれていましたが、
私がC子さんに会ったのはほんの数回だけなので、
お父さんとお母さんに聞かせてあげられる話が少ししかなくて残念に思いました。



実は二人には言いませんでしたが、
私がC子さんの家に行った日、
私以外には誰一人彼女の家には来ませんでした。



普通ならこうやってお茶のお誘いメールがあると結構な人数が集まるのに、
いくら今回は他の目的もあるにしろ、
まさか誰も来ないとは思っていなかったので、
何となく気まずかった思い出があります。




その事を思い出しながら、




そう言えばC子さんの友達って誰なんだろう?

C子さんの友達ならもっともっといっぱいいろんなC子さんの話を二人にしてあげられる。

今、お父さんとお母さんと一緒に過ごすべきなのは私じゃなくてC子さんの友達だ。




と思いました。




C子さんの友達はまだ彼女が亡くなったことを知らない可能性が高いので、
一刻も早く知らせてあげなくてはいけないと思いました。



でもC子さんの友達が誰なのかわからなかった私は、
お父さんとお母さんに聞いてみましたが、
二人ともよくわからないとのことだったので、
とりあえず日本人会の人たちに聞くことにしました。



お父さんとお母さんも二人っきりで話したいこともあるだろうし、
それに空港から直接病院に来てほとんど寝ていないだろうから、
仮眠を取ったほうがいいと判断して、
寝具を用意して、彼らが休んでる間に私は近所の友達の家に情報を集める為にアパートを出ました。



そしていろんな人にC子さんについて訊くうちに、
だんだんと彼女の孤独な一面が見えてきました。





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ヤンキーズスタジアムにて
2008年 06月 23日 (月) 22:23 | 編集


週末に子供たちと息子の友達と私とでヤンキーズの試合を観に行ったんですが、
入場の際の規制が3日前からさらに厳しくなったことを知らなくて、
プラスティック製の水筒以外にステンレスの小さいサイズの保冷水筒を二つ持って行ってました。



テロ以降バックパックが駄目なのは知っていたのでもちろん持って行きませんでしたが、
ナイロンでできてる巾着袋の形をした薄いペラペラのサッカーボール入れはまったく問題ないと思い、
子供たちはその袋にグローブを入れてバックパックのように肩に背負って行きました。



そして入り口のバックチェックで始めてひっかかってしまいました…



ステンレスの水筒が駄目だとは知らなかった私は、
堂々とプラスティックの袋に無造作に入れっぱなしだった水筒を見せたら、




「これは持って入れないよ」




と係員に言われ、
空港のように中身が問題なのかと思った私は、




「中に入ってるのはただのお茶だからいいでしょ」



と言うと、



「うーん、駄目だと思うけど、
 あそこにいるマネージャーに聞いてみて、彼がNOって言ったらNOだよ」




と言われたので、
マネージャーに聞いてみるとあっさりNOとのこと。



それでもあきらめ切れなかった私は、



「単なるジャパニーズティーですよ。 ぜひ飲んでみて確かめてみて下さい」



「いや、そういう問題じゃなくて、
 プラスティックならいいんけど、ステンレスが駄目なんだよ」



「えー、でも単なるお茶だし、
 第一持って入れないって言っても一体これどうしたらいいんですか?」



「車の中に置いてきて」



「車じゃなくて電車で来たので無理ですよー」



「それじゃ、ボーリング場に荷物を預けてきて」



「えええー(面倒くさい)、そんなボーリング場なんて知らないですよ」



「あそこだよ。 すぐそこだよ。
 あ、それから、それそれ、そのバッグも駄目だよ。 それも預けてきて」



と言って子供たちが持ってたナイロンの巾着袋を指差します。



「えええー? これがバックパックっていうの? ありえない~」
 あー、でももうどっちにしろ荷物を預けに行かなきゃいけないんならもうどうでもいいや」



と捨て台詞気味に言い、
子供たちに球場に置いてある透明のプラスティックバックに荷物を入れ替えさせた後、
先に席についておくように言って私はしぶしぶその場から離れました。



あー、何で水筒と巾着袋ごときでわけのわからないボーリング場に行かなきゃいけないんやー!



と思ってると、
すぐ近くに手ごろな台があるのを見てシメシメって思った私は、
そこに荷物をバックから全部出して、
どうにかしてうまいこと水筒を隠して知らん顔して入っちゃえ~って思いました。



そして持ってきていたトレーナーで水筒を包んでバックの奥に入れ込んで、
その上からいろんな荷物を入れて完璧だと思っていたら、
巾着袋を入れるのを忘れてたのに気づき、
それをせっせと小さくたたんでいると、

突然、



「トン、トン、トン」



と私の肩を誰かに叩かれました。



嫌~な予感がしながら恐る恐る振り返ると、
そこには首からスタッフのカードをぶら下げた係員が…



そして人差し指をチッチッチって振りながら、



「No No No~ You gotta go to to check your back 
 (荷物を預けに行かなきゃ駄目だよ)」



と言われてしまいました…



まるで万引きが見つかったしまったかのようなばつの悪い思いをしながら、



「あ、見てたの? ニコッ」



と笑顔でごまかしながら、



「でもこれが駄目だったなんてほんと知らなかったのよ。
 だってこんなものが駄目だなんて普通想像できないでしょ?
 知ってたらもちろん持って来なかったよ。
 これだけの為にボーリング場まで荷物を預けに行かないといけないなんて
 大変やわーー」
 


と言うと、しばし無言の後、
その係員はウィンクをして、
ついさっき私をチッチッチって拒絶した同じ人差し指で、



Come come come



と合図を出してくれました。



やったー! 見逃してくれるぞー! ラッキ~ 



と思いながらも、いつも一言多い私は、



「いやー、ほんと驚いたのよ。 
 こんな水筒が駄目なんて言われるなんてさー。
 せっかく冷たく冷やして来たのに預けちゃったら飲めないしね」



と言うと、



「水筒???」



という言葉と共に急に彼の顔色が変わりました。



へ???



と思っていると、



「その水筒見せて」



と言われたので、
さっきご丁寧にトレーナーに包んだ水筒を見せると、



「それは駄目だよーーーー。 ボーリング場行き決定ね」



と言われ、焦った私は、



「え? でも中に入ってるのはただのお茶だよ。 飲んでみる?」



とまた性懲りもなく飲ませてみようと試みました。



「いや、結構。 中身が問題なんじゃなくて、ステンレス製の水筒は凶器になるからね」



「凶器~~~!!??」



この可憐な(?)私がこの水筒を振り回して誰の頭をどつくねーーーーん!!



と内心毒づきながらも、
子供を引き連れた私がこの水筒を凶器として振り回して、
球場内で暴れてる自分を想像して笑ってしまいました。



でも水筒を見て駄目だと言ったっていうってことは、
彼は私が水筒を隠していた所は見てなくて、
彼が見たのは私が畳んでた巾着袋だけだったという事です。



あー余計な事言うんじゃなかったー。



と我ながら自分の失態にうな垂れて、
ようやくここであきらめてすごすごとボーリング場に向かいました。



ボーリング場に行くと、そこは信じられないくらいの長蛇の列が…



バックパックじゃなくても、大き目のバックを持ってる人や、
パソコンを持ってる人達も皆OUTだったようです。
(金曜日の夜だったので、会社帰りの人も多いようでやたらとパソコンを持ってる人がいた)



結局バックを預けるのに3,40分かかりました。



しかもたかが巾着袋に入った水筒に5ドル!



あー、その辺のデリでお水買えばよかったーって後悔しました。



それも帰りはそれ以上に長蛇の列で倒れそうでした…



ちなみにヤンキーズスタジアムから1ブロックの157st とGerard Aveの角にデリがあって、そこで飲み物やスナックが買えます。



それも透明の袋に入れてって頼めば入れてくれます。
(休場にそのまま持ち込めるのは透明のプラステックバックだけで、色がついてるのは駄目)



休場の中で飲み物、食べ物を買うと超高いのでお勧めですよー。



皆さん、たとえ巾着袋でも肩に背負えるだけでOUT。
ステンレスの水筒、パソコンもOUTなので気をつけて下さいね~。





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人生のターニングポイント 8
2008年 06月 25日 (水) 14:38 | 編集


お父さんとお母さんが仮眠してる間に、
C子さんの情報を集める為に近所の友達の家に向かいました。



そこに集まった友達たちにC子さんの友人が誰なのか聞いてみましたが、
そこにいた皆もC子さんとの付き合いは私と大して変わらず、
よくわからないとの事だったので、心当たりをあちこち電話してみました。



でも結局皆、知り合い程度の人たちばかりで、
本当の意味での「友人」と呼べるような人は見つかりませんでした。



夫であるアレックスなら知っているだろうと思い電話してみましたが、
彼から出てきた名前はB子さんのみでした。



でもB子さんによると、
C子さんとは単なるママ友としての付き合いしかしていなかったらしく、
病院に付き添う以上の責任は負いたくないようでした。





「他にもっと親しくしていた人はいないの?
 日本にいる親友でも良いよ」




とアレックスに聞くと、




「よくはわからないけど、子供が通っていた習い事にいるかもしれない。
 ちょうど明日の夜、
 うちにC子と親しくしてた人達に集まってもらおうと思っていたので、
 そっち関係には連絡いれておきます。
 それ以外の人達には僕は良く把握してないので、
 ukainouさんが連絡をまわして貰えますか?」




と言われたので、快く了承し、
そういう機会があればC子さんの友人に会えると思いホッとしました。



実は私は自分の病気の件で、
自分の両親とC子さんのご両親を重ねて見てしまっているところがあり、
どうしても彼らに感情移入をしてしまって、
自分でもまずいんじゃないかと感じていました。



それにC子さんとほとんど関わりの無かった私が、
まるで家族の一員のようにしゃしゃり出るのも良くないんじゃないかと、
心の中でいろいろ葛藤があったので、
C子さんの友人とバトンタッチする事によって、
肩の荷を降ろしたかったのかもしれません。



アレックスとの電話を切った後、
皆に明日の連絡をまわすために家に戻りました。



家に戻るとお父さんとお母さんは起きていて、
ソファーに座ってぼーっとしていました。




「寝れなかったんですか?」




「いや、少し寝ましたよ。
 おかげ様で随分体が楽になりました。
 ほんと何から何までいろいろお世話になってしまってすいません」





でもその疲れきった表情から、
まったく寝ていなかったのがわかります。



それなのに私を気遣ってそう話す二人。



私には笑顔で話しかけてくれていましたが、
その裏にある深い悲しみがヒシヒシと伝わってきます。





そんな二人の様子を見て、





やっぱりこの人達を放っておけない。

自分が出来る限りの事を精一杯しよう。






と、その時心に決めました。





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