ニューヨーク生活20年で経験してきた様々な実話集。 好きだから別れるしかなかった。そして別れてから始めて気づく事。新連載スタート。
それでもやっぱりニューヨークが好き
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宗教に対する疑問 「私とEX (元夫) 103 」
2010年 01月 18日 (月) 07:06 | 編集
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実は私はアメリカの大学であまりにも嫌々勉強しすぎたせいで、
英語の本を見ただけで拒絶反応が出るという「英語本恐怖症」
(勝手に作った名称)にかかっていました。



そんな状態だったので、
とてもじゃないけどただでさえ時間がない中、
神父さんから貰った聖書は読めそうにもなかったので、
藁をも掴む気持ちで日本語の聖書を手に入れました。



その日本語の聖書をパラパラっとめくって読んでみても、
私には感銘する事も、興味をそそる事も無く、
 
 
 
 
 
あーーー、宗教なんて面倒くさ~~~~!
 
 
 
 
 
と思ってしまい、
結局、神父さんから宿題として出されていたページを読破できないまま、
初めての勉強会に向かいました。



教会での勉強会とは、
不特定多数の人たちと一緒に勉強する会だと勝手に思っていたら、
実際は神父さんと私たちだけで勉強するんだと知り、
 
 
 
 
 
まずい! ちゃんと宿題をやってないのがばれる!!
 
 
 
 
 
と一人焦っていると、
神父さんはそんな私の心情を察したのか、
開口一番、
 
 
 
 
「きちんと聖書は読んできましたか?」
 
 
 
 
と笑顔で質問されました。
 
 
 
 
「えっと… 実は英語だとなかなか読めなかったので、
 先日、日本語の聖書を手に入れて、少しずつ読み始めてるところです…」



「そうですか。 それは良かった。
 一緒に勉強していけば良いんですから、焦らなくていいですからね。
 聖書を読んで見て何か疑問に思った事や、
 私に聞いてみたい事はありますか?」



「そうですね…
 実は以前から疑問に思っていて、
 今回聖書を少し読んでみてもその疑問が解けなかった事があるんですが…」



「何ですか? 遠慮せずに疑問に思った事は何でも聞いて下さいね」



「まずはノアの箱舟についてなんですが、
 ノアの箱舟ってキリスト教徒しか乗れないんですよね?

 神は自分を信じる人間は、
 たとえ悪事を働いた人間でも懺悔さえすれば赦して助けるのに、
 自分を信じない人間はどんなに善良な人間であっても
 助けないって事なんですか?
 
 私の両親は悪い事もせず、今まで真面目に生きてきましたが、
 無宗教という事だけで神は見捨てるんですか?
 
 それってとても高慢な考えだと思いませんか?」



「私は神というのはこの世を作った創造主であって、
 現在あるキリスト教やイスラム教、仏教などの宗派は、
 人間が神をどう解釈するかによって違っていったもので、
 元々は同じ創造主から来たものであると思っています。
 
 だからキリスト教でなくてはいけないのではなくて、
 宗派に関係なく、神を信じ、
 そして感謝の気持ちを持っていれば救われると思っています。

 だからあなたのご両親のように宗派に属していなくても、
 信じる心と感謝の気持ちを持っていれば、必ず救われると信じています。」
 
 
 
 
キリスト教こそが唯一の正しい宗教だと信じているんじゃないかと思っていた私は、意外な神父さんの答えに驚きました。
 
 
 
 
「それではもう一つ質問があるんですが、
 宗教が本当に人の為になるのものなら、
 どうして宗教の名の元に戦争が起きるんですか?
 神がそんな事を望んでいるんですか?」



「神はそんな事を望んでいません。
 一部の利己的な人間たちが、
 宗教を自分たちの都合の良いように解釈して、
 それを利用して戦争を起こしてきたんです。
 私利私欲の為に宗教を利用する人間がいるのが悲しい現実です。
 でも神は決して争いを望んではいません。」



「それでは神父さんはアダムとイブは信じていますか?
 実は一度彼とこの事について揉めた事があったもんで…」



「聖書は神によって作られたのではなく,
 人間によって書かれたものなので、
 その中には不確かな事や、
 当時の人たちに分かりやすく説明された部分も多くあります。
 アダムとイブの話もその一つだと思います。
 科学の知識がなかった当時の人たちに、
 分かりやすく説明されたものだと私は思っています。
 ただ種の起源がアダムとイブでなかったにしろ、
 神がこの世に生を誕生させたんだと私は信じています。」



「神父さんからそんな言葉が聞けるとは思ってもいませんでした。
 実は彼とアダムとイブについて揉めた時、
 結局私の言ってる事を信じた彼が、
 その日の夜、彼の夢の中にジーザスが出てきて、
 悲しげに血の涙を流したって言ってた事があるんですが、
 これには何か意味があるんですか?
 ジーザスは彼を許してくれますよね?」



「もちろん、そんな事でジーザスが彼の事を見捨てたりしません。
 おそらくその夢は彼の罪悪感から出てきたものでしょう」
 
 
 
 
そして神父さんは彼に向かって、
 
 
 
 
God bless you
 
 
 
 
と言って微笑みかけました。
 
 
 
EXも心のつっかえが取れたからか、
心底嬉しそうな顔をしていました。
 
 
 
それ以外にも私がずっと引っかかっていた宗教に対するいろんな疑問を
神父さんに尋ねてみましたが、
すべて納得がいく回答が得られて、
 
 
 
 
 
この神父さんはすごい!!!
 
 
 
 
 
と彼の事を宗教を極めた人として尊敬し始めました。
(私は対象が何であっても極めている人が好き。)



ただ神父さんが素晴らしい人であればあるほど、
実は私は無宗教者ではなく、
 
 
 
 
 
無神論者
 
 
 
 
 
だと言う事は口が避けても告白する勇気はありませんでした…





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私にとっての神とは? 「私とEX (元夫) 104 」  へ行く




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私にとっての「神」とは 「私とEX (元夫) 104 」
2010年 01月 25日 (月) 09:32 | 編集
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神の存在を信じてないのに、
自分でも矛盾していると思いながらも、
窮地に追い込まれた時や強い願望がある時には、
つい無意識に目には見えない何かに向かって心の中で祈ってしまいます。



時には、




「神様お願い!!」




と無神論者の癖に、神の名まで出して祈っている事もあります。




でもその何かとは本当に「神」なのか、

それともそうではない別なものなのか。




その答えが出ないまま教会で勉強を続けてるうち、
ある考えが私の中で生まれてきました。




もしかしてその「何か」とは神ではなく、
自分の中にある内なる心、
 
 
 
 
 
「自分自身」
 
 
 
 
 
に対してではないのか?
 
 
 
 
 
「火事場の馬鹿力」という言葉があるように、
人間というのは究極の集中力が出た時に想像以上の力を発揮するものなので、
祈る事によって集中力を高め、
自分自身の力を最大限に発揮させているのではないのか?



特に教会でのあの厳かで神秘的な雰囲気の中で祈るという行為は、
人間の集中力を最大限に引き出す効果があるのではないか?



そしてその集中力によって自分の潜在能力を高め、
自分自身で願いを叶えているのではないか?



それに「病は気から」と言うように、心と体は直結しているもの。



神に祈る行為=自分の内なる心に向かって祈る行為によって心が軽くなれば、
自ずと体にも良い影響が出るのかもしれない。




祈りによって神様が願いを叶えているのではなく、
祈りによって自分の潜在能力を高めて、
自分自身で願いを叶えているのではないか、




とう考えにいたりました。



聖書に出てくる言葉で、
 
 
 
 
God is always watching us
(神はいつも私たちを見ている)
 
 
 
 
God is always there with you
(神はいつもあなたの側にいる)
 
 
 
 
という言葉をよく耳にするけど、結局これらも、
 
 
 
 
 
誰も見てなくても、自分は見ている。
 
他人を騙せても自分は騙せない。
 
 
 
 
 
という意味だと捉えれば筋が通る。
 
 
 
 
 
Those who believe in God will be saved
(信じる者は救われる)
 
 
 
 
という有名な言葉もあるけど、
これも信じる者とは自分を信じる者という意味ではないか?



自分を信じている者は自ずと道は開けるけど、
自分を信じていない人間を救うのはとても難しいから。
 
 
 
 
 
God's Forgiveness
(神の赦し)
 
 
 
 
に関しても同じで、
神によって赦されるのではなく、
自分で自分を赦す事なのではないか?
 
 
 
 
以前は「懺悔」というシステムに対して、
 
 
 
 
「謝ってすむなら警察いらん!」
 
 
 
 
とばかりに毛嫌いをしていたところがあったけど、
「懺悔」といのは、自分が犯した罪を認め、謝罪し、
自分で自分を赦す行為なんだと思うと納得ができました。



自分を赦せていない人間が自分を愛せるはずがないし、
自分を愛していない人間が他人を赦し、愛せるはずがないから。



自分が犯した罪から逃げ回ったり、
反対に自分を追い詰めたりしてもそこからは何も生まれないし、
永遠に罪の意識によって苦しめられるでしょう。



罪を認め、謝罪し、がんじがらめにされていた心の鎖を解き放つ事によって、
人は初めて本当の意味で人生をやり直せるのかもしれない。




神に赦される事によって自分自身を赦し、
神を信じる事によって自分を信じる力を得て、
神を愛する事によって自分を愛す事ができるのなら、
宗教とは素晴らしい役目を果たしていると思いました。




もしこの世に宗教が無かったら、
国をまとめるのは至難の業だっただろうし、
治安を維持するのも、
心の平和を維持するのも難しかった事でしょう。



そう考えると宗教というのは、
人間が人として生きていく上で必然から生まれた、
とても深いものだと思いました。



宗教を私なりに勉強した結果、 
宗教は人が人として生きて行く為の、
素晴らしい道しるべになる教えだとは思いましたが、
無神論者の私にとって、




「神」とは、自分の中に存在するもの。


すなわち、


「自分の内なる心(潜在意識)」




だという結論に至りました。




でも正直な所、死んで「無」になるのはやはり怖いので、
心のどこかで「あの世」が存在する事を願っているところもあります。
 
 
 
 
天命を全うした後、
 
 
 
 
「うわっ! ほんまに神様っていたやん! 天国って良い所やなー。」
 
 
 
 
ってな感じで、先に逝ってた友達たちと笑いあえたらいいな。





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