ニューヨーク生活20年で経験してきた様々な実話集。 好きだから別れるしかなかった。そして別れてから始めて気づく事。新連載スタート。
それでもやっぱりニューヨークが好き
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「ニューヨークの母」マリッサとの再会
2008年 02月 10日 (日) 17:05 | 編集


世界中から多くの人たちが夢と富を求めてやってくる街、ニューヨーク。



でもその現実は貧富の差は日本とは比べ物にならないくらい大きく、
日本人である私からは考えられないような金持ちがマンハッタンにはごろごろいるかと思えば、その数以上の多くの人たちが貧困に苦しんでいる状況です。



昨日まで普通に生活していた人たちが、明日には職を失い、住む家を失い、
コンクリートジャングルの中をたださまようだけの生活になることも他人事ではない話です。



まだ私が10代だった頃、
世界の中心であるニューヨークに一度来て見たいと思い、
学校の休みを利用して親友のミキと一緒に初めてニューヨークにやって来ました。



旅程はNY一ヶ月、その後ロサンゼルス、サンフランシスコ、ハワイと回って帰国する予定。



当時のニューヨークはまだ治安が悪く、
インターネットもない為、情報が限られいて不安でいっぱいでした。



それなのにホテルの予約もなしの行きあがりばったりの貧乏旅行。



JFKの空港に着いた時は緊張と不安で足がすくむ思いでした。



とりあえずマンハッタンに向かうことにしましたが、
貧乏旅行なのでタクシーは使わず、
最寄の地下鉄までバスで行くことにしました。



バス乗り場と言っても当時の空港はごちゃごちゃしていてわかりにくく、
道行く人たちに下手な英語でバス乗り場を尋ねながらようやくたどり着き、バスに乗り込みました。


すると、バスの運転手のおじさんに「運賃はコインのみ」と言われ、
コインを持っていなかった私たちが途方にくれていると、
同じバスに乗り合わせた他の乗客たちがお金を崩してくれました。



乗客たちのご好意でバスに乗れたのは良いけど、
今度は一体どこで降りたら良いのか見当がつきません…



わけのわからない所まで行ってしまったら大変なので、
バスの運転手のおじさんに思いっきり日本語英語で、



「地下鉄に行きたい。教えて。教えて」



と、ただひたすら必死に繰り返したらわかってもらえたようで、
運転席のすぐ近くの席に座っているようにと言われました。




他の乗客の人たちに大迷惑なスーツケースと共に乗り口付近の席に座っていましたが、
走り出してかなり時間が過ぎても運転手は何も言って来ないので、
もしかして忘れてるんじゃないかと不安になり、



「まだ?まだ?まだ?」



と、お仕事中の彼に何度も聞きまくり、



「大丈夫だからそこに座ってな」



と言われたので、不安でいっぱいになりながらも静かに座っていると、
しばらくしてようやく地下鉄の駅に近いらしいバスストップに着きました。



運転手のおじさんが私たちに早口で地下鉄の場所を説明してくれているようでしたが、
何を言ってるのかまったくわからなくてミキと共に途方に暮れていると、
おじさんは突然バスのエンジンを止めて立ち上がり、
私たちのスーツケースを持って一緒にバスから降りてくれて、
地下鉄の入り口まで連れて行ってくれました。



まさかバスを停めて道案内してくれるとは思っていなかったので、
私達もびっくりで感謝感激でした。
(さすがにピヨピヨの私たちをそのまま路頭に放置できなかったんでしょうが…)



運転手さんや他の乗客の方達には迷惑をかけてしまいましたが、
不安と緊張でいっぱいだった私達に優しくしてもらえて、
単純な私達は怖いイメージだったニューヨークが好きになり始めていました。



爽やかに手を振って去って行く運転手さんと別れた後、
重いスーツケースを持って地下鉄の階段を下りようとすると、
アメリカ人の男性がさっとやってきて、



「持ってあげるよ」



と声をかけてくれましたが、
「犯罪大国NY24時間」というドキュメント番組をさんざん日本で観ていた私達は、



スーツケース持って逃げられるーっ!!!



と思い込み、せっかく声をかけてくれた人に



「NO, NO, NO」



と拒否してしまいました…



今思えばあんな重たいスーツケース持って誰も逃げたりしないのに、
悪い事しなぁって思います。



すったもんだしながらも、ようやく地下鉄に乗れ、タイムズスクウェア付近の駅で下車しました。



地下鉄の駅から外に出て、
初めてマンハッタンの地を踏んだ私たちは興奮して、



「うわーー、ここがかの有名なブロードウェイかーー!!」



とミキと感動を分かち合っていたんですが、
のちにそこはブロードウェイではなくて、
8th Ave だったということが判明しました…



その後スーツケースをゴロゴロ押して、
日本で出会ったバックパッカーの人に聞いていた安ホテルを見つけ、
無事チェックインできました。



そのホテルは厳密にいうとホテルではなくアパートメントホテルで、
一週間、又は一ヶ月単位で借りている人たちばかりでした。



料金は今では考えられない値段で、二人で一週間200ドルくらいだったと思います。



ただしシャワーは共同。



それにお世辞にも綺麗とは言えませんでした。



そこの住人達は路上で物を売ってる人たちや、
何やら怪しげな仕事をしている人たちがたくさん住んでました(何故か宿泊者は男ばかり)。



内線電話で他の住人たちからナンパ電話がかかってくるし、
気の抜けない、サバイバルなホテルでしたが、
そこで掃除婦として働いてたマリッサという黒人のおばさんに出会いました。



彼女は怪しい人間がたくさん住んでるホテルに、
私たちのような右も左もわかっていないティーンエージャーがいるのが心配になったのか、



「私はあなた達のニューヨークのママよ! 何か困ったことがあったら何でも言いなさいね!」



と言いながらハグされたり、
クッキーを持ってきてくれたりして、
いつもとても親切にしてくれていたので、
私達も彼女の事がとても好きになりました。



そしてニューヨーク最後の日、



「寂しくなっちゃうわね…」



と涙を浮かべながらマリッサは私たちをきつく抱きしめました。





それから一年たって、
留学生としてNYに戻ってきた私とミキは、
マリッサにひさしぶりに会いたくて二人であのホテルに行ってみました。



するとそのホテルは何故か人気が無く、看板も無くなっていて、
ただ閑散とした状態になっていました。



おそらく、この一年の間に倒産してしまったのでしょう…



マリッサの行方もわからないまま数ヶ月がたった頃、
ホテルがあった付近のファーストフードでミキと二人で食事をしていると、
店の外にマリッサらしき人物がいるのを発見しました。



びっくりした私達は嬉しさいっぱいですぐにマリッサに駆け寄りました。



マリッサも私たちの事を覚えてくれていたようで、
以前と変わらないハグをしてくれました。



ハグの後、彼女から身を離して改めて彼女を見つめてみると、
何か妙な違和感を感じました。



虚ろな目、あまり綺麗じゃない服装、それに彼女は大きな袋とカバンを抱えていました。



え? これって… え?



状態がいまいち把握できないまま、
動揺を悟られないように気をつけながらジェスチャー交じりで話をしていると(まだ英語が下手だったので)、
突然マリッサが、



「お腹がすいてるの。 すごくお腹がすいてるの。 
 しばらく何も食べてないの」




と言い出しました。



その瞬間、私には彼女が何を意味してるのわかりませんでした。



と言うかわかりたくなかったんだと思います。



すると彼女は英語が通じなかったと思ったのか、



「Please give me food」



と言いながらジェスチャーで何度も食べるまねを始めました。



金づちでガーンと頭を殴られたような衝撃と共に、
ニューヨークの母だと言って抱きしめてくれていたマリッサに物乞いをされた現実を受け入れられず、
思考回路が止まったまま、



「ちょっと待ってて」



と言ってお店に戻って食べ物を買い、彼女に手渡しました。



すると彼女は何度もありがとうと言いながら、
体の調子が良くないのか、
重い体を引きずるようにそのまま去って行きました。



その前かがみに歩く彼女の後姿を見ながら、
この1年の間に一体何が彼女に起き、
どう過ごしてきたのかと思い、
その日の帰りの足取りがとても重たかったことは今でもはっきりと覚えています。






最後まで読んでいただいてありがとうございます。

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